おやゆび便り

<対。>

「減らす」というテーマは、
とても現代的であり、興味深いものです。
以前は「増やす」だったのではないかと思います。
それで、ある程度まで増えたのですが、
ちょっと増え過ぎたので今度は減らす。
次にまた減らし過ぎたから増やす時代が来るのか、
それともまた別のテーマが浮き上がるのかは
まだわかりませんけれど、ぼくの目も
なんとなく「減らす」に向いています。

「減らす」について考えたり行動した結果、
ぼんやりとわかったことがあります。
それはじわじわと全方面的に取り組まなければ、
リバウンドが起こるぜということです。
つまりこういうことです。

例えば服を減らすと決めました。
あなたは着ない服、気に入らなくなった服を、
どんどんごみ袋に入れて処分します。
クローゼットがすっきりします。
これだけあればいいと思えるくらいの
素敵な服だけが残りました。
本来ならここで、めでたしめでたしです。
でも実際にはなかなかそうはいきません。
来月には、またなんとなく物が多い気がします。
服は確かに減ったはずだけれど、
まだまだ減らさなければといらいらします。
クローゼットよりも、頭のなかが散らかっています。

どこに問題があったのかというと、
減らしたものが偏っているということです。
服という物理的なものだけを減らしたところで、
むしろバランスが悪くなって不安定になります。
では、他にもなにを減らす必要があったのか。
雑貨、本、食器、パソコンのデータ。
そういったものもそうですが、
バランスをとるためには、SNSの投稿を見る時間とか、
ネットサーフィンをする時間とか、友人との電話とか、
そういう目には見えない「情報量」を
減らしてやっと、持ち物と生活との釣り合いが
とれるのではなかろうかと。

ダンシャリアンと呼ばれるような、
極端にモノが少ない人が「正しい」とは思いません。
一つの生きかたですから、自由なことです。
ただ、減らして生きるというのであれば、
生活全体がそうなるように設計する必要がありそうです。
厄介なのは、人生がちらかっていることでしょうから。
モノだけの問題とは限りません。
ことばとか、ニュースとか、インターネットとか、
減らすときに対にすべきものがきっとあります。

では、また書きます。
そういうことだぞ、わかったかい、ぼくよ。

イデトモタカ