おやゆび便り

<重大な智恵。>

ほしくてほしくてしかたがなくて、
寝ても覚めてもそのことばかり考えていたのに、
手に入れたら途端に満足してどうでもよくなる。
数日後、早いときには数時間後にはもう、
すっかり熱がさめて興味を失っている。
そういう経験はありますか。

俗に言う「釣った魚に餌はやらない」も、
同じ現象の一部だと思います。
ほしくてほしくてたまらない対象は、
モノの場合もあれば、コトの場合もあって、
そしてヒトであったりもします。

ぼくは何度となく経験があります。
最近でいえば、メガネをどうしても新調したくて、
奮発してオリバーピープルズで買いました。
(ぼくにとっては)安い買い物ではなかったので、
けっこう、それこそ数ヶ月迷った気がします。
でもね、買ったら満足してちっとも使いません。
たまに思い出したようにかけたりもしますが、
それが「ある」ことが(おそらく)重要で、
けれどそれ以降メガネ熱自体がなくなっています。

少しだけ釣りをしていたときにも思いましたが、
泳いでいる、じぶんの竿にかかっている魚が
どうしてもほしいわけであって、
釣れたあとの陸にあがった魚には
たいして興味がわかないのです。

ではぼくが「そういう人」なのかと訊かれれば、
そうではないと思っています。
手に入れてからもずっと愛情を注ぐ対象もあります。
つまり、そういうモノと、そうじゃないモノが、
少なからずあるわけです。
どういう条件か、特性かは、深く洞察すれば
わかるのかもしれませんが、それはまたの機会に。

きょうぼくが書きたかったのは、
「熱をさめさせない人でいる努力」を、
じぶんなりにできるのならしようぜということです。
恋人になる前はものすごくほしがられたのに、
いざ手中の人になると、途端に熱がさめてしまう。
それは相手の性格による部分もありますが、
互いの努力によるところもある気がします。

手に入れるまでのもの、未知のものは魅力的です。
それが手に入って「こんなものか」と底が知れたら、
今までの想いが嘘だったように熱がさめるのは、
なにも不思議なことじゃありません。
問題は、既知のものでありながら、
魅力を放ちつづけられるかにあります。

人の魅力を構成する要素はさまざまです。
じぶんなりに得意な部分を探して、
筋トレのように鍛えつづけることも、
生きていく智恵の重大な一つだと感じております。

では、また書きます。
過去記事更新できていないので、近々まとめて。

イデトモタカ