おやゆび便り

<がいのはなし。>

「〜がいがある」ということは、
目には見えないけれど、
いや、見えない分だけなおさら
ぼくらは判断のよりどころにしている。
だから「〜がいがある」ことや人は
重宝されるし、反対に「〜がいがない」と、
うまくいかなかったりジリ貧になる。

仕事はやりがいがあると、
大変だろうが多少実入りが少なかろうが、
そういうことは二の次になる。
充実した時間こそが人生だから。
やりがいがなければ疑問ばかりが浮かび、
生きていることがなんだかよくわからなくなる。

食事に行っても、食べさせがいのある相手とか、
誘いがいのない人がいる。
「〜がいがある」とまた呼ばれるし、
「〜がいがない」と、どんどん閉じていく。

打算的に考えれば、じぶんにとって大事な相手から、
こいつは「〜がいがある」な、と思われることが、
生きていくうえでは考えている以上に重要になる。
残念なことに「〜がいがない」と判断されたなら、
チャンスはどんどん少なくなるし、
「最低限の」ものや役目しか集まらなくなってしまう。

ここ(カシミア)だってそうだ。
読みがいがない、と思った人はもう来なくなるし、
読みがいがある、という感じがつづいている限り、
あなたはきっとまた来てくれる。

幸いなことに「〜がいがある」は、自然物じゃない。
つまり、数が限られていたり、だれかが独占したり、
どこかに穫りにいかなければいけないものじゃない。
生み出すこともできるし、増やすこともできる。
見つけることも、探すこともできる。
せっかくだから、生きがいのある毎日をっ。

では、また書きます。
外が急に春になった。もうどこかに行かないでほしい。

イデトモタカ