「く」から始まる小さなお話*

<くだらない話。>

くだらない話、というジャンルがあります。
笑い話や、うわさ話や、怪談話、打ち明け話、
作り話から、みやげ話、はたまた昔話まで、
人のする「話」には、いろんな種類があります。
最近では、すべらない話というものまであります。
そしてそれぞれに、人によって、
得意な話、好きな話、
する話、しない話があるものです。

そのなかでも、
「くだらない話」というのは、
だれもがもっている話のジャンルです。
そのうえ、注意しなければ、
別の話をしているつもりでも、
気がついたらいつのまにか
「くだらない話」になってしまっていた、
なんてこともよくおこってしまいます。
つまり、どんな話であったとしても、
場合によっては、あるいは話し手、間、
頻度、構成、タイミングなどのせいで、
「くだらない話」になる危険性を秘めています。
すべての話は、くだらない話になるスイッチを
常に忍ばせているということなのです。

だからこそ、逆説的に、
「くだらない話」をするのは
ひじょうにムツカシイともいえます。
これはサーカス団における、
ピエロのむつかしさに似ているかもしれません。
サーカス団のピエロは、
すべての人の、失敗の象徴として存在します。
観客は、じぶんもおなじ失敗をする可能性を
秘めているからこそ、感じるからこそ、
けたけたとそれを笑います。
ここに、いわば一種のクリエイティブが
存在するのだと思うのです。

すべての行動は失敗の種をもっていて、
すべての話はくだらないのスイッチをもっています。
そのうえで、わざと失敗することや、
知って「くだらない話」をすることは、
ぼくはクリエイティブが求められることだと感じます。

失敗した姿をみせて拍手をもらうこと、
くだらない話だねといわれて笑ってもらうこと、
これらは、とても高級だなぁと思うのです。

くだらない話ばかりする人は、
くだらないのですが、
いつもいつも真剣で、
くだらない話がちっともできない人も、
不思議と、くだらないんだなぁ。

くだらない話を、笑ってだらだらとし合える仲間、
これはなんともオモシロイことなのです。

イデトモタカ(2011年12月25日)