「さ」から始まる小さなお話*

<サヨナラの哀。>

さよならでもなく、
左様ならでもなく、
サヨナラが漂わせる、
この哀しさはなんなのかしらん。
この切なさはなんなのかしらん。

さよなら、またね。
左様なら、また次回。
もし手紙にそう書いてあったなら、
ぼくはまた、きっとあなたに会えるんでしょう。
そこに希望と未来を見出すでしょう。

けれど、仮にそこに、
サヨナラ、いつか。
そう記されていたならば、
おそらくぼくは、ぼくらは、
もう二度と会うことはないのでしょうね。
そう受けとってしまうでしょうね。

これは書きことばだけの話だけではないのです。
あなたが口にするそれは、
「さよなら」なのか、「サヨナラ」なのか、
聞く方にはわかってしまうものなのです。
伝わってしまうものなのです。

実際には、人生では、
きちんと別れを告げられることの方が少ないものです。
「さよなら」と、「サヨナラ」と、
云われただけ幸福な場合もあるでしょう。
云えただけ、幸運なこともあるでしょう。

ぼくたちの人生は、
「さよなら」で、「サヨナラ」で、いっぱいです。

できるだけ、「さよなら」でありたいと願います。
「サヨナラ」は、少し、哀し過ぎると思うんです。

そんな覚悟は、いつになっても、できる気がしないんです。

イデトモタカ(2011年12月19日)