「そ」から始まる小さなお話*

<創造力。>

想像力はアタマにあるものですが、
創造力というのは、どちらかといえば、
カラダの方にあるのではないかと思います。

人間のカラダの部分、
特に専門的に鍛えられた部分というのは
意志をもつようになります。
アタマで意識的に考えたことよりも、
相手にならないくらい速く
独自の答えに従って動くようになります。
そうなることに、つまり、
カラダの部分に意志を持たせることを、
一般に「修行」と呼ぶのではないかと思います。

ぼくは物書きなので、
毎日毎日カシミアだけでも1000字近い文章をつくります。
これは、われながら大したものだという気がします。
では、考えて書いているのかといえば、
もちろんそうなのですけれど、
先の述べた意味からいえば、そうではないといえるのです。
ぼくが考えるよりも速く、
指先が文章をどんどんとつないでいきます。

つまり、このアタマよりも、
ぼくの場合パソコンのキーボードをたたく指先の方が
すぐれた創造力を有しているのです。
証拠といったらなんですが、
ぼくは椅子に座ってじっとしていても、
アタマのなかではいつまで経っても
文章は完成しませんし、創造もされません。
書いているうちに、指先(カラダ)がそれをするのです。

ピアニストや画家にしても、
気づけばアタマがする想像を、指先がする創造が
凌駕するタイミングが来ているのではないかと思います。

激しいインスピレーションによって、
指先はただその捌け口となる場合もあるのでしょうが、
それにしてもぼくはカラダが創造しているのではないか、
とにらんでおります。

アタマだけ、読書や思考だけで想像はできたとしても、
カラダをつかわずに創造はできないんじゃないか、
いまのところ、ぼくはそういう結論を出しています。

創造するのはカラダの方だ、そう想像した方が、
もっとすごいことができそうじゃないですかい。

イデトモタカ(2012年8月14日)