「た」から始まる小さなお話*

<たのしい大人。>

たのしそうに遊んでいる子どもを見て、
わかったことがあった。
大人になっても純心で、まっすぐで、
目を輝かせてなにかに夢中になっている、
いわゆる「子どものような大人」
と呼ばれる存在の、本当の強さというのは、
桁外れの「集中力」なのだ。

子ども、特に男の子がそうなのだ。
おもちゃでも、かけっこでも、
じぶんでその場で編み出した、
大人にはどこがおもしろいポイントなのか
てんでわからない謎の遊びでも、
目の前の「そのこと」に夢中になると、
文字どおり周りがまるで見えなくなる。
嘘だろうと思うほどに、声が聞こえなくなる。
「そのこと」で頭もこころもいっぱいなのだ。
急に飛び出して交通事故に遭う子どもの数も、
そのほとんどが男の子だそうだ。
ふつうの大人になってしまった者からすると、
有り得ないだろうと疑うほどの集中力。

この集中力は、年を経るにつれ、
自然と失われていく。
その理由は明解で、「危険だから」だ。
俯瞰してものを見る。
常に周囲に目を配らせる。
これは動物にとって必要な能力だけれど、
はじめから持っているわけではない。
生きていくなかで身につける、
いわば高等技能なのだ。
だからこそ、動物世界でも子どもが狙われる。
危険を察知する能力が低いということは、
命に関わることなのだ。

ふつうの大人は、だんだんと、
この高等技能を身に付けていき、
代わりに焦点力100という驚異的な集中力を失っていく。
けれど稀にいる、「子どものような大人」というのは、
俯瞰力や周囲を見る目も養いながらも、
焦点力100の集中力を発揮できる(してしまう)人だ。
けれどそんな人はそうそういない。
だからこそ、強いのだ。

一朝一夕で行えるものではない、
長期的な取り組みによってしか成し遂げられないような、
偉業と呼ばれるものを達成するには、
それこそ並外れた集中力が必要になる。
そこまでとはいわなくとも、
どんな分野であれ一流の存在になるためには、
やはり単発的でない集中力が不可欠だ。
そして、同時に「そのこと」をたのしむこころがないと、
持続することは困難なのだ。

「子どものような大人」は、
子どもの持つ瞬発性の驚異的な集中力と、
おそらくは大人になってから身につける、
忍耐ともいえる持続性とを併せ持っている人だ。
そのうえで、目の前の「そのこと」を、
周囲からは理解が不明に思える独自の視点で、
たのしみ、遊べる人なのだ。

そしてこの世界のほとんどが、
彼らのつくった傑作オモチャなのだ。

イデトモタカ(2013年1月11日)