「ほ」から始まる小さなお話*

<本。>

本、というものを読みだして、
本、というものとの付き合いが始まって、
かれこれ十数年になるだろうか。
ようやく本というものの存在が、
じぶんのなかでの立ち位置が、
明らかになってきたように思う。

いま現在の結論としては、
じぶんにとっての本とは以下に三つに要約される。
すなわち、娯楽か、参照か、向上である。

まず、娯楽のための本というものがある。
このカテゴリーに入る本のテーマは、
「満たす」ということだ。
その本を読むためにあてられた
特定の時間を、面白い情報で満たす。
読む前にはなかった感覚や感情で、
こころを満たす。
人はこうして時間やこころが
満たされることを期待して、本を読む。

次に、参照のための本がある。
これらの本に人が求めるものは、
「正しさ」である。
じぶんがある情報を使うにあたって、
それが正しいのかを確認したいと人は思う。
己の言動への裏打ちや安心がほしくなる。
正しさを知るために、本を読む。

三つ目に、向上のための本がある。
この種の本に人々が期待するものは、
「変化」だといえる。
その本に書かれた情報を手にすることで、
なにかを変化させたいと人は願う。
読前読後で人生のある問題やテーマに対し、
変化を起こす火種が生まれることを期待する。
現在の延長にない未来が訪れることを切に願う。
光へ向う変化があることを信じて、本を読む。

けれど、これらは独立したものではない。
個々の本ごとに、定められたものでもない。
娯楽を目的とした本を読み、
行動を変化させて向上する人もいる。
正しさをうりにした本を、
ある時間を満たすために面白がって読む人もいる。
また向上するために書かれた本で、
正しさを確認し、こころを満たすこともできる。

じぶんは、なんのために本を読むのか。
本を読むのは、なにを求めてのことなのか。

数年前、向上のためといいながら、
寂しい時間を満たし、正しさの後押しを求めて
本を読んでいたじぶんをいまようやく素直にみれる。

本、というものは、なんにしたって面白い。
生きている限り、陽気に付き合っていきたいと思う。

イデトモタカ(2012年4月6日)