「む」から始まる小さなお話*

<無視でなく。>

無視している、といわれると
返すことばにつまるのだけれど、
仕様のないことというのはあるのです。
贔屓している、と指摘されると、
つたない自己弁護しかできないけれど、
仕方のないことというのはあるのです。

すべては「縁」なのだ。
それは嘘偽りのないほんとであって、
本音であって、それに従って行動したことを、
誰も責めることはできないのです。
人生で出会える人数が限られているように、
助けられる人、目をかけられる人、
手を出せることには限度というものがあるのです。
悲しいかな、それは認めざるをえないのです。

地震がありました。
災害というものは、たった一ヶ所で起こるもの
ではないですから、同時にたくさんの場所で、
たくさんの人が助けや支援を求めます。
そのときに、じぶんという一人が、
あるいはじぶんを取り巻く組織や集まりが、
手を差し伸べられる相手というのは限られているのです。
そして、その相手はどうやって決まるのか、
選ばれるのかといえば、これはもう、
「縁」があったところ、という以外にはあり得ないのです。
そして、それでいいわけです。
他に、いい案も仕様もないわけですから。

なので、あの地域には、人には、協力をして、応援をして、
こっちの人には、地域には、なにもしてくれない。
そんなのはいけない、差別だ、贔屓だ、というのは、
大きく間違っているのです、勘違いしているのです。
「縁」がなかった。
ただ、ただ、それだけのことなのです。
潔く受け容れるほかないのです。

親戚のいる地域の復興を手伝うことも、
若者が地元の町おこしを企画することも、
議員が故郷に鉄道をひこうとすることも、
「縁」がそうさせているわけであり、
他の地域を無視しているという意味ではなく、
その町だけ贔屓しているということではなく、
よそはどうでもいいのだと差別してもいないのです。

因縁果報。
因(原因)と果(結果)の間には「縁」があります。
縁(きっかけ)がなければ、どうしようもないのです。
そして、この縁というものは、感謝こそすれ、
恨むことなど、到底できはしないのです。
そう考えるよりほかに、やりようがありません。

ぼくは、ぼくが助けたいと思う人を、助けます。
あなたは、あなたのいいと思うことをしてください。
できうる範囲、というものがあるわけですから、
当然その範囲から漏れる人も、対象も、出てきます。
けれど、それは仕様がないことなのです。
無視でなく、縁がないのだと、
じぶんの力不足を知るほかありません。

あなたは、あなたが助けたいと思う人を、助けてください。
ぼくは、ぼくのいいと思うことをします、縁にならって。

イデトモタカ(2013年1月4日)