「や」から始まる小さなお話*

<やむをえず。>

やむをえず、ということは、ある。
これはもう、どうしたって、ある。
そうしたいわけではない、
できればそうじゃないことをしたい、
つまり反対のことを望んでいるのに、
やむをえずそれができない。
そういう状況が人生にはあることを、
あらかじめ知っておいた方がいい。

ある思想家が、
「泥棒して食ったっていいんだぜ。」
ということをいっていた。
これがつまり、やむをえず、ということだ。
生きることに比べたら、あるいは、
餓死してしまうことと秤にかけたら、
人間が社会性を保つためにつくった
「泥棒してはいけない」というルールなど、
やむをえずやぶられても仕方のないことだ。
「仕方がない」なんてことを書くと、
いろいろなところからお叱りのことばを
いただくかもしれないが、
当人が「生きる」ということと、
あくまで人間がつくったルールとでは、
まったく重さが違うのだ。
その「重さ」をごっちゃにしてはいけない。

あるいは、雪山で誰かが遭難したときに、
天候や燃料やなんやかやの影響で、
やむをえず、救助を中断・延期することがある。
これも、まったくどうにも、やむをえないのだ。
そこにきちんとした「ことば」はないかもしれない、
けれど、だからといって責められないのだ。
これはもう、やむをえないのだから。

やむをえず、というのは状況と一緒にやってくる。
ある特殊な状況が、やむをえず、をさせるのだ。
お金がなくなればケチになる。
状況が悪くなれば嘘をつく。
それは意志が弱いのだ、先の話とは別だろう、
とそう思われる部分があろうだろうけど、
「やむをえず」というものを、
ある程度には考慮して生きていくほうが安全だ。
じぶんがその状況に置かれたときに、
「やむをえず」と一騎打ちできるだろうかと、
一度考えてみるのはいい教育になるのではなかろうか。

(やむをえない)と囁くじぶんのなかの切ない声と、
向き合う準備をしておいて、邪魔になることはない。

イデトモタカ(2012年10月30日)