「よ」から始まる小さなお話*

<妖精のちから。>

妖精のようだと思うのです、
ことばっていうものは。
そう思ったきっかけは、
人はなぜ「忘れる」のかと
考えていたときでした。

たまに、ものすごくいい本に出会います。
あるいはことばや、人に、出会います。
そして価値観を揺るがすような感動をし、
生き方をあらためようと決意します。
けれど、そのぜんぶとはいわないまでも、
多くの部分を、人は時間とともに
忘れてしまうのでした。
・・・・どうして?

不注意から失敗をして、
叱られて、もう二度としまいと
こころに固く誓ったはずなのに、
いつしか、そう遠くなく、
人はそのことを、そのときのことばを
忘れてしまうのでした。
・・・・どうして?

人生でそういう疑問をくり返すうちに、
ぼくは「ことばには滞在時間がある」
というふうに、考えるようになりました。
ことばには妖精がいて、
その妖精がじぶんの中に、あるいは相手の中に、
滞在している間だけ、魔法をかけるのだと思ったのです。

恋人に「愛してる」といわれて、
とてもうれしい気もちになったとします。
こころがぽかぽかと、やさしくなったとします。
けれど、それは永遠にはつづきません。
なぜか? その妖精(ことば)は出て行くからです。
新しい妖精に追い出されたり、
居場所がなくなったりするからです。

とても腹の立つことをいわれても、
笑い転げるほど面白いことをいわれても、おなじです。
その妖精は、いつか出て行ってしまいます。

日々ぼくらは、入れ代わり立ち代わり
あたらしい妖精に出会っては、
去っていかれるのではないかと思うのです。
けれどそれは、決して悲しいことではなくて、
たのしめばいいと思うのです。
そして、できるだけ、
ステキな妖精でいっぱいの人になればいいと思うのです。

じぶんにステキな妖精がいるときは、
相手にもステキな妖精を届けられるし、
じぶんに嫌な妖精が住んでるときは、
相手にも嫌な妖精を送り込んでしまうものです。

いい妖精の滞在時間は長くして、
わるい妖精にはすぐに出ていってもらえるように、
こころを常に整えておくことが、
大切じゃないかと思います。

イデトモタカ(2011年12月6日)