「ら」から始まる小さなお話*

<楽遠回り。>

ラクなほうに流れて、いいことなんてない。
たとえば誰かといざこざや問題があったとき、
もう連絡をしない、もう会わない、
もう関わらないようにする、
というのは、いちばんラクなことです。
あるいは叱るべき状況のときに、
叱らずに黙っていることも、
いいよいいよと許してしまうことも、
じぶんにとってはラクなことです。

けれど、ラクなほうに流れて、
いいことなんてないのです。
ラクなほうに流れた結果、
意を決して憂鬱に向き合ったときよりも、
ずっといい結末になることなんて、
そんなことはあると信じないほうが
ぼくはいいと思っています。

逃げる、ということは、
ぼくは局面においては仕方のないことで、
大事なことだと捉えています。
いったん退く、逃げる、
そういうことも人生にはあるし、
重要な判断であることも多々あります。
けれど、逃げる、ということと、
ラクなほうに流れるということは、
まったくもって違うことなのです。
おなじことではないのです。

逃げる、ということは、
苦しい判断の上に成り立っていることですが、
ラクなほうに流れる、ということは、
そもそも判断を避けている、
そこから目を逸らしている、
というものなのではないかと思います。
それは、やっぱりどう考えたって、
いいことだという気はしないのです。

見つづけることは、焦点をぼかさないことは、
辛いことも多いですけれど、
それが結局のところ、
「よりよい未来」というものを想像したときに、
いちばんの近道になるのだろうという気がします。
反対に、ラクなほうに流れるということが、
うまい生きかたのようでいて、
実際にはずいぶんとしなくてもいい遠回りを、
思わぬところでしているんじゃないかと思います。

楽遠回りより、憂近道を。

イデトモタカ(2012年12月19日)