恋愛は、相手の気持ちを想像したら・・・。

こどもの頃、おままごとや「○○ごっこ」は
なんとなく苦手なあそびだった。
役割になりきってアドリブでセリフを語る。
妄想だいすきだった私にはもってこいのように思えるけれど、
妄想はひとり頭の中でするものだ、というこだわりが
どこかにあったから、人前で披露するのに抵抗があったのだ。

ひとりでする妄想はアホだけど害がない。
今にパイロットとスチュワーデスのお金持ちな夫婦が、
「本当のパパとママだよ」と迎えに来るに違いない、
と夢見るも、弟と顔が似すぎていて現実に引き戻される、
みたいな、絵に描いたような貧弱な妄想ばかり。
こどもの頃のクセはおとなになってもなかなか治らないもので、
いまだに妄想とは仲良くさせていただく毎日である。

あるとき、きちんと財もなし、奥様とも仲睦まじい
とあるダンディーな男性が、こう言っていた。

恋愛は、相手の気持ちを想像したら終わりでしょ。

ちゃんとおとな。
私にはそう見える人が語る何気ないひとことは、
これまでのいくつかの恋愛をわたしに思い出させてくれた。
そうか、おとなになって恋愛の場面で妄想すると、
それはもっとリアルな“想像”になってしまうのか。

“妄想”を辞書で引くと、
「根拠もなくあれこれ想像すること、またその想像」とあり、
「あまりよろしくない“想像”の一種」という扱いである。
根拠がない、ということがどうやら特徴のようで、
だからこどもの頃、妄想の世界は色鮮やかだったのだけれど、
おとなになって、いろんな事情もわかるようになると
根拠を伴う “想像”になってしまうことも少なくない。

“恋”は自分ひとりの気持ちと空想でできあがる世界。
だから相手の気持ちを想像することは恋の醍醐味だ、
と言っても差し支えないんじゃないかとわたしは思う。
でも“恋愛”には相手がいる。
相手との関係性だけが存在している。
そこでうっかり相手の気持ちを想像してしまうと、
自分に自信のない人はマイナスのスパイラルに陥り、
自信満々な人は痛いほどのポジティブさで相手に期待する。
相手がそのストーリー通りにうごいてくれるかどうかが関心事。
2人でする恋愛なのに、自分と相手と妄想世界の相手との
おかしな三角関係みたいなことに陥ってしまうのかもしれない。

まずは自分がどんな感情で毎日を暮らしていたいのか、
そのために、相手との関係性はどうありたいのか、
そのときの自分はどんな自分なのか、それが大事。
相手の感情ではなくて、自分の感情ともっと仲良しになることが
恋愛や、いろんな人間関係において、健全な関係、
自立した自分でいられる、ってことなんだろうな、と思う。
考えればあたり前だけれど、渦中にいると気付かないからね〜。

やっぱり妄想は、ひとり頭の中だけでするものだ。
こどものころのわたしはすでに、
そのことを知っていたんだ、というのは皮肉なはなしだけれども。

河村羽美(2012年8月18日)

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