器用貧乏な人は・・・。

手に職がほしい、そう思っていた時がある。
会議中行き詰まったら “バン!”と机を叩いて立ち上がり、
「パン焼いてくる!」と不意に退席。
しばらく後、焼きたてパンの香りとともに現れ場が和む。
そんなシーンを思い描いて楽しんでいたこともある。
パンの仕込みや焼き時間全く無視の都合の良い妄想・・・
実は本気でパン屋さんにあこがれたものの、
近所のおいしいと評判のパン屋さんが7時開店なのを知り、
「そんな早起きはムリ」とあきらめた過去もあるほどだ。

なぜ手に職がある人になりたいのかというと、
それはつまり、私が中途半端に小器用だからなのだ。
昔から、特にがんばらなくてもなんでもそこそこはできた。
でも、結局“それなり”であり、成績つけるならオール4。
“器用貧乏”とは、まさに私のような状態を言うのだろう。
そしておそらく、器用貧乏協会があったとしても
会長というわけでもなく、ここでも成績は4ぐらいなんだろなぁ。
悲しくなってきたので話を進めよう。
そもそもどうして器用だと貧乏なのか。
長年のその疑問解消のヒントになることばをある人が語っていた。

器用貧乏な人は、自分の正しさを手放せば、器用を活かすことができる。

先ほどの成績でたとえるなら、器用な人はオール4。
「自分はあれもこれもできないから、得意なこれを伸ばそう」と
何かひとつを磨き続けた人は、1や2もあるけど、キラリと光る5、
いずれは10に値するようなずば抜けた5になる場合もある。
大きな仕事では、5の人を集めて分業し、オール5の出来栄えに。
小さな仕事だとひとりで全部やれるオール4の人が重宝がられる。
さて、では一般的に儲かる仕事はどっちなのか。
たいていは前者でしょう。
つまり、オール4の器用貧乏な人は、儲からない小さな仕事を受け、
バタバタと走り回り、便利に使われてしまってる状態、と言える。

一方、器用であるが、貧乏でない人も存在する。
それは自分の正しさを手放した人だ、というのだ。
自分のように小器用にこなす生き方は正しいから、
誰しもがそのようになるべきだ、とついつい思ってしまい、
他の人ができない1や2の部分が目について仕方がない、
そう思っているうちは5の力を貸してもらえることはない。
でも、ひとつを突き詰める生き方も素晴らしい、と認めた瞬間
つまり、自分の正しさを手放した瞬間、
いろんな人が5の部分で助けてくれるようになる。

よくよく考えたら、器用っていうのは総合力が高いということ。
あの人のすごいところも、この人のすごいところも、
総合力が高いゆえに理解でき、自然と感謝もできる。
それが器用な人が5になれる場所なのかもしれない。

ひとは、自分は正しいと鼻息あらくする反面、
自分に無いところをうらやましがる、ややこしい生き物だ。
そもそも、わたしがちょいとパンを焼いてみたところで、
職人さんのおいしいパンにかなうわけがないのだし、
焼きたてパンの香りよりも上手に場を和ませる方法もあるでしょうよ。
正しさは手放して、うらやましさは賞賛に変え、
器用な金持ちめざして生きて行こうじゃないか、私よ。

河村羽美(2012年9月1日)

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