表情のなくなってしまったお義母さんが・・・。

「赤ちゃんが笑うのは本能なんだよ」
とはじめて聞いて、衝撃を受けたのはいつのことだったか。
人間は他の動物ほどには本能を持たずに生まれてくるらしく、
歩くのに1年もかかってしまうし、
誰かに保護してもらわないと生きていかれない。
笑うことよりも歩けることの方がサバイバル的には重要そうなのに、
でも、お母さんに愛され、育ててもらうために
ほんの少しだけ持って生まれてきた本能の一つが
“笑う”ことなんだ、というのは
よくよく考えたらすごいことだよな、と思う。
お母さんが笑うから笑うんじゃなくて、
先に赤ちゃんから笑うからお母さんは思わず笑い返すんだよ。
そう聞いて、“人間ってスゲー!”と我が本能を褒め称えたものだ。

先日、私の友人のお義母さんが亡くなられた。
私も何度かお会いしたことがあるが、とてもステキな方。
長い闘病の後、安らかに息を引き取られたらしく、
その眠った顔はとっても穏やかでキレイだった。

亡くなられる少し前、友人がこう呟いたのに感動したことがある。

表情のなくなってしまったお義母さんが、
また最近笑うようになったの。


しゃべれなくなったり、いろいろ病状が進行してく中で、
それまではあった表情もなくなってしまっていたらしい。
でも、そのあとで、最期に取り戻した表情が
“笑顔”だ、というのだ。

この話を聞いたとき、なんだかとてもうれしくなった。
表情がなくなってしまうのは感情がなくなったのではなく、
その感情のとおりに表情を作れなくなっているだけなのじゃないか。
そう思うと、きっと最後に一番伝えたいだろう
「ありがとう」とか「楽しい」っていう気持ちを
皆に伝えるための“笑顔”だけは取り戻せた、というのが
すごく幸せなことに思えたのだ。

表情の中で、“笑う”ことは、最後まで残る感情表現なのだろう。
そして、人生の最初と最期には、笑顔っていうのはきっと、
“意志を持って笑う”ということになるのだろうな、と思う。
最初の笑顔は愛してもらうために。
最期の笑顔は愛した証に。

不穏な世の中をひとりで歩いていると、
なんだかとてつもなく不安を感じることもあるのだけれど、
私が愛した人たちが最期に笑ってくれるのなら
私が愛した人たちに最期に笑いかけられるのなら
それ以上に望むことなんかないんじゃないかと思う。

将来どこで何をしていてもいいから、笑っていられる毎日でありたい。
これはわたしが昔から持っている、変わらない想い。
それでもときどき、ふと笑いたくなくなってしまうことや、
心をかたくなにしてしまうことだってあるのだけれど、
よし、赤ちゃんみたいに自分からいっぱい笑おうじゃないか。
だってそれは私も皆も持っている、数少ない本能のひとつなんだから。
たくさん笑えばきっと、彼女のように最期まで笑っていられる、
そんな気がするしね。

河村羽美(2012年9月22日)

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