奥さんと結婚しなくちゃいけなかった理由・・・。

まだほんの小さかったころ、寝るときにはいつも一緒の毛布があった。
小さくて淡い色で、ふちどりはオレンジ色で、やわらかくて。
そのはしっこをニジニジしながらじゃないと寝られなかったので、
だんだん黒ずみ、ボロボロになって、お別れの日は突然やってくる。
っていうか、母が捨てちゃったんですけどね。
大げさだけど、これは人生最初の喪失だったのだ。
ほかの毛布じゃダメなのだ、と力の限り主張し、
泣きつかれて寝てしまったことは今でも覚えている。
けれども、今はもちろんその毛布なしで寝ているし、
おそらくその毛布に焦がれていたのは数日だっただろう。

喪失といえば失恋。私も失恋したこと、一度や二度はある。
いや、すいません。見栄張えりました。もっとある。
「もうこれ以上好きになる人なんかいないにきまってる」
と本気で思ったこともあったけれど、もちろんそんなわけはなく、
「次に好きになる人のことはもっと好きになるだろうから大丈夫!」
と、今は経験を踏まえてそう思えるまでに成長した。

何が言いたいのかというと、“これじゃないとダメ”なものなんか
そうそうあるもんじゃないよ、ということで、
つまり、自分にしたって、今かけがえないと思うことや人にしたって、
かわりになるものはきっと他にもあるのだよ、と。

先日、ある友人がこんなことをポロッと言った。

奥さんと結婚しなくちゃいけなかった理由、ないんだよね。
いうなら縁?


なんだかひどいセリフのようにも感じるが、
でも本当はそういうことなんだろうな、と妙に納得した。
この人じゃないとダメ、なんてことではなくて、
ただただ縁があったから今夫婦なのだ、と。
大切でかけがえのない存在であることは確か。
けれど、それにしたって「この人じゃないとダメだ」
と思ってしまうのはどうなんだろう。
「この人にはわたしじゃないとダメなのよ」なんていうのは
誤解を恐れずに言うならば思い上がりでしかなく、
それは“執着”と言い換えられるのではないだろうか。

「この人じゃないとダメ!」と思い始めると、
そう思えば思うほどにまた、苦しくもなっていく。
代わりがない、これしかない、という思い込みには、
失ったときを想像して怯え、今に執着させる作用がある。
心を囚われてしまうのだから、苦しいにきまってる。
かけがえのない存在を目の前にして苦しいなんて健全じゃない。
わたしにしかできない、と思う仕事にしたってそうで、
たいていのことは他の人で代わりがきくものだ。
わたしじゃなくてもいいのだ。わたしの代わりはいるのだ。

そのことを了解した上でいろんなことに向かおうと思う。
そうすればきっと、今目の前にある大切なことや人のことを
もっと愛おしく思えるし、大切に扱えるようにもなるのだから。
これじゃなくても、あなたじゃなくても、わたしじゃなくてもいい、
だけど今、これが、あなたが、わたしがいる。
それって考えてみたらすごいことだよね〜。

「お前じゃないとダメなんだ」ってセリフに女は弱いけど、
「あなたには縁を感じるね」って言われる方が
なんだか本当のことのように思えてうれしい。
そう思えるのは、ちょっとだけ成長したってことなのかも。

河村羽美(2012年9月29日)

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