相手の感情はコントロールできない・・・。

思い描いたとおりにはなかなかならないもんだな。
高校生ぐらいのときによく思っていたこと。
たいした根拠があるわけではなくって、
いいなと思う男の子には見向きもされない、みたいな、
若さゆえの浅はかな理由なのですけれども。

思ったとおりにいかないことって、
たいていは誰かの、あるいは自分の感情がからんでいる。
感情っていうのはやっかいなもので、
自分のだってうまく扱えないのに、
人の感情をどうこうなんかできるわけがない。

少し前、すごくオトコマエな自立した女性から
こんなことを聞いた。

相手の感情はコントロールできない。
ただ、両手を広げて愛するのみ。


相手の感情や行動をコントロールしようとした、
そんなほろ苦くも青いときはもう過ぎて、
「コントロールなんかできっこない」
ということはしっかり理解しているつもり。
でも、それでも時々、相手の感情を推し量り、
自分の感情もつられて動き、
悶々としてしまうことがある。
それはただただ相手に期待して、
愛してもらおうとしているから。
両手を広げて愛することは、
ある意味とても覚悟のいることだけれど、
それができたきにはじめて、
少なくとも自分の感情とは折り合いがつきそうだ。

これはなにも恋愛についての話というわけではなく、
友達どうしでも、上司と部下でも、
同じことが言えるんじゃないだろうか。
そして、多くの場合それを無意識にできているのが
“親”なんだな、というのはちかごろ思うところ。

誰かとの関係性をよりよくするために、
相手の望んでいることを想像し、先回りして行動する。
良い人間関係を築く上で、親しければ親しいほど、
こういう気持ちを持ち続けるのはとても大切だと思う。
でも、わたしの場合、両親に対してだけは、
これまでほとんどそのような行動をしてこなかった。
それはおそらく、そんなことしなくっても大丈夫だ、と、
両親からの愛情に対して安心していたから。
親は子を、無条件で両手を広げて愛してくれる存在。
そんなふうに誰かのことを愛せたら。

愛情の深いところに人は帰る。
帰る場所がある、というのはとてもステキなこと。
考えてみれば、わたしが誰かの帰る場所になることも、
不思議な感じだけれど、あるかもしれないんだ。
たくさんの友達がほしいというわけではないし、
愛し愛されるパートナーはひとりでじゅうぶんなのだけれど、
だからこそ、その少しの大切な人たちの
帰る場所になれたらどんなに素晴らしいだろう。

もっとこうしてくれたらな、こんな関係になりたいな、
そんな理想をひとり思い描く前に、
大切な人を、ただ、両手を広げて愛する。
感情に振り回されがちなわたしにとって、
とても難しそうなこのテーマこそが、
一番感情と仲良しになれる近道な気がしております。

河村羽美(2012年10月13日)

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