恩を売ったら・・・。

長女って損な役回りだ。
とにかく「おねえちゃん」という生き物は
がまんを強いられる局面が多く、
そこでがまんしないとこっぴどく叱られる。
楽しみにとっておいたプリンを弟に食べられても、
あそんでたおもちゃを弟にとられちゃっても、
おねえちゃんだから、がまんしないとね。
がまんしたのよ。わたし、えらいでしょ?

大人になってもそういうクセはなかなか抜けないもので、
ついつい「わたしは今がまんしてるんですよ」
ということを相手に伝えたくなってしまう。
本当はわたしもほしいけど、数がたりないから「わたしはいいや」。
予定あるから帰りたいんだけど、「わたしがやっとくよ」。
そういうとき、ついつい「がまんしてる」ということを
ちょっとした言い回しや表情なんかで微妙に醸し出して恩を売る。
「わたしが今がまんしたってこと、ちゃんと覚えておいてね」と。
でも、いつだってそのあとはなんだか心地悪いのだ。

先日、こんな興味深いことを聞いた。

恩を売ったら何か返してもらえるというのはまちがいだよ。

相手にそれとわかるように恩を売る。
つまり、がまんしてることを匂わせる。
それは、相手に「ありがとう」じゃなくて
ちょっとだけ「ごめんね」って思ってほしいから。
そうすればあとで何か返してもらえるような気がする。
でも、その人からしてみれば、わたしのがまんに対して
申し訳ない気持ちを支払うから、それはもう精算済みになる。
あとでわたしに何か返す必要はまったくない、というわけだ。

そもそも「恩」とは、相手から受けるありがたい恵みのこと。
本来は相手からいただくものをこっちから押し付けて、
いや、売りつけて、代金払えって理不尽極まりない。
あらためて考えてみたら、そりゃぁ心地悪くもなるはずだ。
自分への戒めとしてもう一度言っておこう。
恩とは売るものじゃなくって、受けるもの。
これをまちがえちゃいけない。

だれかに何かをしてもらったら、そりゃあうれしいけれど、
だれかに何かをしてあげて、喜んでくれたときの方が
その何倍も何倍もうれしい。
みんなが喜んでくれる、そのためにやってることだと思えば、
それは「がまん」なんかじゃなくって、結局は自分へのごほうび。
長女って損な役回りだと思っていたけれど、
いっぱいごほうびをもらってたんだなー。
あとでこっそりわたしにだけプリンを買ってきてくれても、
結局弟と半分こして、おいしいね、って一緒に食べた、
あの頃はそんな瞬間がいちばんの幸せだったしね。

河村羽美(2012年11月17日)

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