受け取ってもらえることで・・・。

今日はあたりまえのはなしをします。
あたりまえのことだ、と思っていたのだけれど、
まだまだそのとおりの行動が、思考ができてなくって、
あらためてここで触れておこうと思ったので・・・

先日、仲良くしているある人から
「あなたはもっと甘えていいと思うんだよね。」
というようなことを言われた。
今わたしは、周りの人に甘えたり頼ったりできているし、
もちろんその人に対しても、ちゃんと甘えることができている、
そう思っていたのだけれど、確かに思い当たる節はある。
どうしたらその人の役に立てるだろうか、
そんなことばかり考えて、そんな行動をしていた。
役に立ててないな、と感じてはひとりしょんぼり、
そんなことを幾度となく繰り返していたのも事実。
そもそも「甘えることができている」という思考そのものが、
上手に甘えられない人特有のものなのかもしれないしね。

ちょうどそんなことを思っていたときだったから、
このことばが耳に残ったのだと思う。

受け取ってもらえることで人は喜びを感じるんだよ。

例えば電車で席を譲って「いいことしたな」って思えるのは、
「ありがとう」と座ってくくれる人がいるから。
2年前、「受け取ってくれる人がいるから与えることができる」
ということばを聞いて、そのとおりだ!と感じて以来、
それはずっとずっと意識してきたつもりだったし、
そのおかげで受け取ったり甘えたりできるようにもなった。
いや、なった、と思い込んでいた。

受け取ること。
役に立ちたい、とばかり思っていたけれど、
私が役に立ちたいと願うのであれば、
相手もまた同じように、私の役に立ちたいと、
そう思っていてくれるのかもしれない。
わたしが「役に立ててない」としょんぼりしたように、
相手にもまた、さみしい思いをさせていたのかもしれないのだ。

役に立ててない、って思うときは、
相手にもまた同じ気持ちを感じさせている、
そう思っておいてちょうどいい。
「人は人の役に立てているときに一番幸せを感じる」
こんなあたりまえのことがなかなか実践できなくて、
お恥ずかしい限りなのだけれども、
これを読んでくれた人が同じ過ちをおかさずにすむのなら、
ぜひともそうしてほしいな、と思う。

心の矯正は、身体のそれよりももっと難しくて、
ついつい脚を組んじゃうのと同じように、
(今も脚組んでこれを書いておりますが)
頭ではその構造を理解していながらも、
しらずしらずのうちに受取拒否、なんてことあったのだろう。
身に覚えのある人は、いちど「やりすぎかな?」
くらい甘えてみる、そんな矯正が有効だったりするのかも。

明日はクリスマスイブ。
恋人と、家族と、友達と過ごす人も多いだろう。
普段はがんばっちゃう人も、こんなときばかりは、
派手に甘えて、いっぱい受け取ることで幸せになってもらう、
そんなプレゼントを用意してみるのもいいかもね。

河村羽美(2012年12月22日)

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