ぼくは毎日・・・。

わたしの曾祖母は長命で、98歳まで生きた。
近所でも一番の長生きだったから、
知り合いの訃報を耳にするたびに
「みんな先に逝ってしまう。」
とさめざめ泣いていた姿が未だに蘇ることがある。
その頃のわたしはまだまだ子どもで、
その涙の意味を上手に理解することができなかった。
それから何年も経ち、おとなになった今も、
本当の意味ではまだ理解はできていないのかもしれない。

こういうことがあったからかもしれないが、
わたしは、生きているということはそもそも
「修行」なんだと思ってしまうふしがある。
毎朝目覚めたことには感謝ではなく、
「さて、まだまだ修行は続くぞ」という感覚なのだ。

修行終了の知らせとともに、
先に逝ってしまった大切な人たちが迎えに来てくれる。
その日がいつかやってくると思えるから、
笑ったり泣いたりしながら生きているし、
その毎日を愛おしくも思えるのだから、
不老不死なんてたまったもんじゃない。
どんなにお金持ちになっても、
不老不死の研究に着手することはしない、
ということだけは皆様にお約束しておこう。

半年ほど前、ある方にお誕生日のメッセージを送ったら
こんな返事をいただいた。

ぼくは毎日生まれ変わっているから毎日が誕生日なんだよ

口で言うのは簡単だけど、
この方は本当に、心底そう思っているんだということが
ありありと分かる生き方をされている。
もしかしたら本当に、ひとは毎夜一度死に、
許されたものだけが目を覚ますのだろうか?
許されなかったものだけが目を覚ますのだろうか?
そのときそう思ったら、
「生きることも死ぬことも、
 なんだそんなに遠いことではないじゃないか」
と、妙に明るい気持ちになったことを今でも覚えている。

友だちと笑っていても、恋人と手をつないでいても、
それにしたって生きるってことはとても大変で、
先のことを考えると不安にもなるし、
わけもなく泣きたくなることもあるのだけれど、
そうはいったって、生きている限りは生きるのだ。
がんばったりがんばらなかったりしながら、
生きていくよりほかないのだ。

「どうせ期限付きなんだから」なんて笑って、
くだらない話をしていれば、
長生きすることもこわくないんじゃないのかな?
あのとき泣いていた曾祖母に
そう尋ねたら泣きやんでくれただろうか。
まだまだひよっこのわたしには、
その答えは未だにわからないのだけれど。

河村羽美(2013年2月16日)

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