腹が立ったら・・・。

ものごとは自分の思い通りにいくとは限らないのだ、
というあたりまえのことを、ちゃんと理解できたのは、
もう親許を離れてずいぶんたってからだった。
こどもの頃のわたしときたら、気に入らないことがあると、
家族の前でだけ不機嫌な態度をあからさまにし、
自分の思いを押し通そうとしたものだ。

完璧とは言わないまでも、世の中と、自分と、
折り合いつけて仲良くやっていけるようになった今でも、
ときどき激しく感情が動いてしまうことがある。
醜い感情にこころを支配されそうになったときなどは、
いったいどうやってこの場をやり過ごせばいいものか、と、
もうひとりのわたしが途方に暮れてしまうほどだ。

そんなときには、こどもの頃、
母親によく言われたこのことばを思い出す。

腹が立ったら横にしい。

気に入らないことがあって、プリプリ怒っている時に、
(とばっちりであるにせよ)たいていは怒りの矛先である
その母親からこんなことを言われたら、
冷静にそのことばを受け入れられるはずもなく、
でもそれ以上何も言えずに黙りこむばかりだった。あのころは。
もしかしたらただの「ことばあそび」だったのかもしれない。
けれど、おとなになった今でも大事に覚えているのは、
たいていはこういうちょっと小言めいたことで、
今、その小言はこころの奥をピリッとさせる。

学生のころ、両手をおろし、机にぺたんと顔をつけ、
教室をぼんやりと眺めることが好きだった。
そうすれば、その空間とちょっとだけ親しくなれる気がした。
まっすぐの世界と、横になって眺めた世界。
わたしが横になって眺めただけで、不思議だけれど、
世界はちょっとだけ様子を、表情を変えてくれる。

「怒りは二次感情だ」ということを聞いたことがある。
怒りの前には必ず何か別のいやな感情があり、
たとえば悲しみとか、心配とか、不安とか、
それがもとになって「怒り」が引き起こされるのだ、と。
怒りをそのまま相手にぶつけてしまっても、
じょうずに解決しないどころか、問題を大きくしたり、
なにより自分自身があとでとっても嫌な気持ちになるのは、
一次感情を無視してしまった結果なのだろう。

何かに怒りを感じた時は、そのままぶつけるのではなく、
その怒りを一次感情に翻訳して相手に伝えなければ
相手に伝わりようもないし、ものごとは解決しない。
そのためには、いちどゆっくり息を吸い、
自分のことを、自分のまわりを、
違う目線で眺めてみることが効果的だ。
同様に、誰かの怒りの感情を感じたときには、
その人のことを、まわりの世界を、
違う目線で眺め、受け取ることがたいせつだ。

とはいえね、なかなか簡単にはいかないけれど、
「違う目線で眺めよう」って思うより、
「腹が立ったら横にしい」って唱えるほうが
なんだかバカバカしくっていいじゃないの。
自分で立てた腹ぐらい、自分で横にできる、
それぐらいのやわらかさは持っていたいな、と思う。

河村羽美(2013年2月23日)

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