恩は返すもの・・・。

人の記憶を司る器官「海馬」は、一旦そこに情報をストックし、
重要度を判断し、長期記憶、短期記憶に振り分けているらしい。
そう考えると、わたしの海馬、いかがなものか。
子どもの頃から忘れ物が多くって、
5回忘れたら1日正座して授業(椅子を机代わりに)
なんてはずかしめも結構な回数受けた気がする。
小さい頃に見たどうでもいい夢とか、
あのときあの人が着ていた服のデザインとか、
そんな細かいところばかりいまだに覚えている。

これまで物忘れの激しさで損をしてきたけれど、
このことばを聞いた時、
物忘れの激しさもなかなかいいじゃないか、と思った。

恩は返すもの。仇は水に流すもの。

知人が子ども頃、お祖母様からよく言われたことらしい。
このことばを聞いて、「仇って何かあったかな?」と
少しの間考えてみた。そして、何も思いつかなかった。
記憶力が弱いのでね、いわゆる「仇」的なこと、
どうやら全然覚えてなかったのだ。

少し前、自伝を書く機会があった。
自分のルーツを探り、心のクセに気づくため、
これまでの人生の中で感情の動いたことや、
象徴的に記憶しているできごとを書いていく。
あれこれ昔のことを思い出していると、
「あぁ、そういえばこんなこともあったよね」と、
当時はものすごくショックだったできごとを
懐かしい気持ちで思い出しているわたしがいた。

過去のできごとは変えられない、
変えられるのは、その捉え方だけだ、
というのはよく聞くはなしだけれど、
「水に流す」とはつまり、
捉え方を変えるってことなのかもしれない。

「自分の過去をディスカウントしている人は、
 今を懸命に生きていない人なんだ」
ということをまた別の人が言っていたのだけれど、
なるほど、今の自分の人生を気に入っていれば、
たとえそのときはどんな感情であったにせよ、
今へつながる過去のできごとは全て、
懐かしく思い出されるできごとになっていくのだ。

仇を水に流すってことは、
「水に流そう!」とその仇に囚われることではなく、
目の前にやってきては一瞬で通り過ぎていく
「今」を懸命に生きることなのだろう。
過去に後悔したり、未来を憂えたり、
そんなことよりも、今この瞬間笑っていたい。
今は笑えないようなできごとも、
そう思って懸命に生きていれば、
いつか「良い思い出」に変わるに違いない。

過去に囚われている人は、一旦目をつむって今を見る。
今に満足できない人は、過去のできごとの捉え方を、
まずは無理矢理にでも書き換えてみる。
海馬に記憶を書き換える機能があるのかどうかは知らないが、
少なくとも、こころが今を見ている人に対しては
海馬は協力的に働いてくれるんじゃないのだろうか。
あ、でも「受けた恩」はきちんと記憶していられる、
そんな人でいたいので、そっちはちゃんと残しておいてね、
と、少しだけお願いしてみることにしよう。

河村羽美(2013年3月9日)

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