あのとき声を・・・。

誰かの思いがけないひとことに救われた。
そんな経験をした人、結構いるんじゃないだろうか。
わたしも、もう何年も前にそんなことがあった。
実際は、覚えていないこともあるだろうから、
何度も何度も誰かのことばに救われているはずだ。

わたしの経験というのはこんなふうだった。
当時、いろんなことにやる気がおきなくて、
そんなだからやり遂げた感も得られず、
なんとなく1日が終了してしまってもやもや。
仕事でも、「わたしって必要なのかな〜?」
なんて、落ちていた時のことだった。
当時勤めていた会社に一時出入りしていた方と、
数年ぶりにたまたまお会いする機会があり、
その方がこんなことばをくれたのだった。

あの時声をかけてくれたこと、今でも覚えてるんですよ。

「あの時」というのは、そこから更に数年前。
会社の催しで、外部の方を多数お呼びする機会があり、
わたしは受付としてお手伝いをしていた。
1部が終わり、2部のパーティーが始まる際、
その方がひっそりと帰ろうとしている姿を見つけ、
「パーティー、参加されないんですか?」と、
わたしが追いかけて呼び止めたんだそうだ。
彼はその時、精神的につらい時期だったようで、
「あぁ、自分のことを気にかけてくれる人がいるんだ」
と元気が出て、救われたんですよ、と教えてくれた。

そこでそんなことばをかけたことは
実はわたしはまったく覚えていなかった。
けれど、わたしの何気ないひとことが
誰かを元気づけ、救う力を持っているんだ、
と、思いのほか勇気づけられたようで、
当時落ちに落ちていた状況からなんとか浮上できたのだった。

大切なことばは、他人の口を通して耳に入る、
というようなことを聞いたことがあって、
本当にそうだなあと思うから、
誰かの何気ないひとことにも耳を傾けよう、
と思いながら日々過ごしているのだけれど、
それってつまり、わたしの何気ないひとこともまた、
誰かにとっての「大切なことば」になり得る
と言い替えることもできる。

ひとの役に立っていることに喜びを感じるのは、
人間の本能のうちのひとつだ、と言われている。
だから、助けてもらうばかりだと満足できず、
誰かを助けたり、役に立てていないと、
こころから満足することはできないのだそうだ。
ことばも同じで、誰かのことばに救われること以上に、
自分のことばがどこかで誰かを救っているのかもしれないし、
それだけの力を持っているのだ、と気づけたから、
あの頃のわたしは自分の価値を認めることができ、
浮上することができたのだろう。

急にそんなことを思い出したのは、
実は今、ちょっとだけあの頃のみたいな心持ちになっていて、
もう何度もそんな状況を迎えては超えてきたので、
自分をアゲるために、無意識に思い出したんでしょうね。
新年度を目前にして、桜も満開で、
新しい生活を始める訳じゃなくてもウキウキする季節。
あらためて、ことばの力を思い出したことですし、
ひとことひとことをより大切に、空を見上げながら、
毎日を過ごしていこうじゃないか、と思うのでありました。

河村羽美(2013年3月30日)

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