人を傷つけられるほど・・・。

ものごとは自責で捉えるべきだ、
とよく言われますよね。
わたしもそれは基本的には賛成です。
他責=人のせい にしている人を見ると
ものすごくザンネンな気持ちになるし、
うっかりへんな言い訳してしまった時には
我ながら潔い悪いなぁ、とものすごく後悔します。

けれど、「わたしが悪いんだ」と思い募るのは、
時にはとっても楽な逃げ道だったりもします。
問題点から目をつむり、
うまく行けば同情も集められるかもしれないですからね。

もう何年も前のことですが、
大人の事情で、ある子どもを傷つけてしまった、
(少なくとも当時のわたしはその責任を感じていた)
と、思い悩んでいたときがありました。
今思えばわたしひとりの責任ではない上に、
わたしには責任の取りようもないようなことなのに、
「わたしが悪い、わたしが傷つけたんだ」
と自分を責めて、本当の痛みから逃げていたのでしょう。

それを相談したある人からこんなことを言われました。

人を傷付けられるほどあなたはえらいの?

一見すると乱暴なことばかもしれません。
でも、そのとおりだな、とはっきり思いました。
偽の自責を手放して、悪いことは悪い、
どうにもできないことはできない、と手放し、
自分を責めることで責任逃れしていた状態から、
祈ろう、見守ろう、責めは負おう、と、
そう腹をくくれた瞬間でした。

よく「裏切られた」と口にする人がいます。
事実どうなのかは本人同士でしかわからないことで、
裏切ったほうはそのつもりがなかったり、
逆に、裏切ってしまった、と思っているのに
相手は何も気にしてない、ということもあるかもしれません。
これは、裏切られた事実のあるなしが問題ではなく、
裏切られたと感じたかどうか、
感情だけの問題であることがほとんどだと思うのです。

わたしは幸いにも、裏切られた経験
=裏切られたと感じた経験はありません。
けれど、裏切った、とまではいかないまでも、
傷つけちゃったな、と、えらそうに反省したことは
これまで何度かありました。
人を傷付けられるほどえらくもないのにね。

裏切ったと思うのはエゴ
裏切られたと思うのは心のクセ

ちょっと乱暴な言い方かもしれませんが、
今わたしはそう思っています。
だからどうってことはないのですけれど、
裏切った、と自責の念に駆られがちな人は
本当の責任から逃げてないかを
見つめてみることをしても損はないでしょうし、
裏切られたと思いがちな人は、
心のクセかもしれない、と、一度感情から離れ、
まっすぐ事実だけを眺め、相手の事情を鑑みる、
ってことをしてみてはいかがかな?
と、ふと思った、ってだけなんですけどもね。

たったそれだけのことで、
ずっと生きやすくなる気がするんだよねー。

河村羽美(2013年4月6日)

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