わたしは普通の人に・・・。

先日、ものすごくエネルギーあふれる女性にお会いした。
お料理の腕前はプロ級で、短時間に何種類も
おいしいお料理をたっぷり作ってふるまってくれたり、
そうかと思えばピアノの腕前を披露してくれたり。
本業は全く違う業種の会社を経営しているのだそうだ。
わたしの母親くらいの年齢だと思うのだけれど、
とてもそうとは思えないほどハツラツとしていて、
なんでもできる人ってほんとうにいるんだなぁ、と、
もう羨ましいなんて気持ちも起きないから、
羨望の眼差しにすらならない状態だった。

ところが、実は何年か前に事故にあい、
脳の半分(そう言っていたのでそのとおりに書くけれど)
がないのだ、と言うのを聞いて、
「胃みたいに、脳もまた大きくなるんだっけ?」
と、アホなことを考えてしまうくらい
彼女は本当に完璧な人だった。

「普通の人と何も変わらないですね」
と、その場にいた誰かがそうつぶやいたら、
彼女はピシャリとこう言った。

わたしは普通の人に見えるように努力してるのよ

彼女の言う「普通の人」というのは、
きっとわたしたちが思う「普通の人」ではなく、
それまでの、もしかしたら今以上になんでもできた
脳を半分失う前の彼女のことを指しているのかもしれない。

自分以上のものに見せようとすることは愚かだし、
そんなことを続けたって疲弊するだけだ。
でも、彼女の場合は、本来の自分のように見せる、
それに努力なんてことばでは言い表せないほどの
ものすごい努力を重ねて今があるのだろうということが、
そのひとことに込められているように思えた。

先日、あるドラマを観ていて、
「みんないろいろあって今があるのよー」
というセリフを聞いた時、ちょっと泣きそうになった。
いつも楽しそうな人の、
いつもやさしい人の、
いつも控えめな人の、
いつも笑わせてくれる人の、
「いろいろ」なんて全く知らないのだもの。
でもみんな、がんばって今を生きているのだ。

スーパーウーマンだ、と思った彼女は、
水鳥が水面下で必死に脚を動かしているように、
これまでも、今も、これからも、
見えない所でいっぱい努力していくのだと思う。

ありのままの自分が素晴らしいということを
心底信じられたらそんなに幸せなことはない。
けれど、もっと、もっと、と、
がんばってがんばって生きるのも、
何者かに見せようと必死でもがいて生きるのも、
とてもとても美しいことなのかもしれない。

何者かになりたくて、がんばってもがいてる、
そんなわたしも、ある意味「ありのまま」なんだ、と、
認めてあげよう、よしがんばろう、なんて思っております。

河村羽美(2013年4月13日)

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