誰も見てなくても・・・。

出先でトイレに入って、
トイレットペーパーの切れ端が散乱していたら、
それを片付けてから出るようにしている。
と、話したら、その場にいた人に
「えらいねぇ」なんてほめられた。
でも、べつに志高いわけでもなんでもなくて。
わたしが散らかしたんじゃないのに、
次に入った人にそう思われるのが嫌だから、
っていう、しょぼい理由なんですがね。

友人から聞いた実話なのだけれど、
結婚の挨拶を兼ねて、ある女性が、
彼と、その両親とで食事に出かけたときのこと。
そのお店にひとつしかない女子トイレに彼女が入ったら、
トイレットペーパーやらなにやらで散らかっていて、
けれど「わたしが汚したんじゃないし」と、
そのままにして出たという。
彼のお母さんがその後に入り、出てくるなり
「こんな使い方をするようなだらしない人との結婚は
 認められません!」
と、破談を言い渡されてしまったのだそうだ。

自分が汚したわけでもないものを
片付けるのはいやだ、というのはよくわかる。
「こんなことで?」と思われる方もいらっしゃるだろうが、
こんなことだからこそ、大問題になったんだろう。

わたしはおばあちゃんっ子だったので、
今でも祖母との会話をよく思い出すのだけれど、
とりわけよく覚えているのがこのことばだ。

誰も見てなくても、神さんがちゃんと見てござる。

こう言われて育ったから、先の破談の話は、
気の毒だけれど、お母さんの気持ちもよく分かる。
トイレは完全個室空間だから人の目はない。
けれど、人の目がないときだからこそ、
どう振る舞えるかが大事なのだ。
それがその人の「ほんとう」なのだ。
祖母の言う「神さん」っていうのはつまり、
自分の良心のことだったんだな、と大人になった今思う。

辛いものって、一口目は辛いけど、
食べ進むうちに平気になってくる。
匂いの苦手な場所に行っても、
しばらくたつとその匂いに慣れてしまう。
ほんの些細なことに目をつむり、
「誰も見てないし、まぁいいか」とやっていると、
そのうち良心が痛むこともうんと減るんじゃないだろうか。

そんなわたしだって、たいしたことは何もしてなくて、
えらそうなことを言える立場ではないのだけれど、
でも、せめて、人の目があるときとないときで、
振る舞いを変えない心の強さを持っていようと思う。
とはいえ、人の目があるからこそできることもあるのだし、
人の目と神さんの目、そのときどきで都合よく
勝手に意識させていただいて、
凛々しく気分よく生きていきたいものですね。

河村羽美(2013年4月20日)

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