数字では・・・。

「まだ実感がわかないんです」
というセリフをよく耳にするのですけれど、
「実感」ってなんなのでしょうね。
辞書にはこう書いてありました。
「実際に事物・情景に接したときに得られる感じ」
もっとじわじわくるものだと思っていたけれども、
そう言われてみればそんな気もします。
例えば、一緒に暮らしていた恋人どうしが
いざ結婚してもなかなか実感がわかなかった、
ところが、結婚式を挙げたらものすごく実感した、
というのは何度か聞いたし、想像もつきますしね。

どうしていきなりこんな話をしたのかというと、
先日、想像もつかないほど壮大な宇宙の話を聞いて、
生きている実感がわかなくなってしまったというか、
生きてるってことを実感するのはいつなのだろう?
とふと思ったことからはじまっています。
そんなおかしなことを考えていたからか、
とある人のことばがいやに耳に残ったのでした。

数字では実感できないんだよ。実物じゃなきゃね。

ある事業で毎月いくらか損をしている案件があるとします。
しがらみだとかなんだとか、やむを得ない事情があって、
しかたないよな、とあきらめていたとしても、
同じ金額の現金を用意して、それをゴミ箱に捨ててみると、
びっくりするぐらい心が痛んでなんとかしようと思うのだとか。
不良在庫をたくさん抱えている会社だったら、
この日までに売れなかった不良在庫は全部燃やす、と決め、
その日、本当に燃えている商品を見れば、
次からの売る姿勢は自ずと変わるのだというのです。
まさに「実感」。

そう考えれば、生きていることを実感するには
形になっていない「生きている」という現象を
何かの形に表して眺めることが必要なのでしょうね。
皮肉なことに、親しい人の死に直面したとき、
自分は今生きているのだ、ということを、
対比としてつきつけられたことがこれまで何度かありました。
もしかしたら、いちばん実感するのは死の汀で、
走馬灯は生きてきたことを実感するための
セレモニーだったりするのかもしれないですね。

でもね、それはそれとして、
例えば愛おしい人と笑い合っているときとか、
おいしいごはんを食べて幸せ感じてるときとか、
そんななんでもない時間のなかで
じわじわと実感する、ってほうが私好みなんですが、
そういうわけにはいかないものなんでしょうかねえ。
そういう実感もあるように思うんだけれどねえ。

何はともあれ、お金であれ何であれ、
実感することによるメリットは
どうやらたくさんありそうです。
「実感」をテーマに生きてみるのも
なんだかちょっと楽しそうなにおいがします。
それがいきなりつきつけられることだとしても、
じわじわと感じることだとしても。
うん、テーマは「実感」。なかなかいいぞ。

河村羽美(2013年7月19日)

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