まるで、死ぬために・・・。

これは、ある女性のおはなし。

ごく普通のその女性は、ごく普通の恋をして、
ごく普通の結婚をしました。
ただひとつ違っていたのは、
ご主人が結婚後すぐに亡くなってしまったことだけ。

彼女はお葬式で手紙を読みました。
「もう一度あなたに会うと決めました。
 そのためにこれからがんばって生きるから。
 “いっぱい楽しんだね、よくがんばったね。”
 いつかお迎えにきてくれるそのときに、
 そう言ってもらえるようにがんばって生きるから。」

それから数年が経ち、彼を思って泣くことを
彼女はしなくなりました。
泣いていては、あの時の約束を果たせない。
がんばって、楽しんで生きなければいけない、と。
そしてそう見えるように毎日を過ごしていました。
誰の目にも、おそらく本人にさえ、
もう立ち直ったように映っていたそのとき、
ふと思い浮かんだことばがあったのだそうです。

まるで、死ぬために生きているみたいだ。

過去と、ずっと先の未来とのあいだを
行ったり来たりしているだけだ、と、
そのとき彼女は気がつきました。
“今”は目を瞑って通り過ぎていただけでした。
ずっと先のその日のために、今があったのですから。
瞑っていた目をひらいて見回してみたら、
まわりにいてくれるひとたちが急に色濃く見えて、
時間がまた動き始めた気がしたのだそうです。

あたりまえですが、人は必ず死にます。
いずれ死を迎えるその日まで生きることに
いったい何の意味があるのか、と問われても、
わたしにはわかりません。
どんな死に方をしたいのか、と、
どんな生き方をしたいのか、は、
もしかしたらものすごく近いことなのかもしれません。

けれど、どうしたって死ぬまでは生きるのですから、
全てを手放して、いつでもどうぞと生きるのもいいし、
いやだいやだと逃げ回りながら執着して生きるのもいい。
どうせなら、死ぬために生きるんじゃなく、
今いるひとたちと、笑ったり、泣いたり、
恥ずかしい思いもいっぱいしたりしながら、
生きて、死ぬ、そんな健全な生き方がいいな、と、
きっと彼女も今頃思っていることでしょう。

どんな死に方をしたいのか、と、
どんな生き方をしたいのか、が、
たとえものすごく近いことであったとしても、
今を大切にすごすことしか今はできないのですから。
それがなによりもステキな生き方だとわたしは思うのです。

河村羽美(2013年8月14日)

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