だって、結局いつか・・・。

はじめて失恋をしたときはいっぱい泣いた。
ふいに訪れた終わりだったので、心がついていけなくて、
「もうあの人以上に好きになれる人はいない」
と思いつめたりもした。
あのときあれだけつらかったのは、
「好き」という感情は減らないと思っていたからだ。
同じだけの「好き」がずっと続くと思っていたのだ。
わたしはこのまま、あの人を思い続けて生きるのかしら?
なんて思うだけで悲しくて、
あの涙はそんな自分が不憫で泣いていたんだろうと思う。

ところが、「好き」は減っていくものだ、ということに、
いつのまにか気づいてしまった今となっては、
何が怖いかって、
「好き」が減ったりなくなったりすることが怖くて
自分の、相手の気持ちの移り変わりや、
そもそも時が進んでいくことに怯えてしまう。

こんなことを急に思ったのにはわけがあって、
ある女性のひとことを聞いたからなのだ。
一度離婚を経験しているその女性に
「恋人がほしいとかは思わない?」
と聞いてみたら、もういらない、と言う。
まだまだ若くてキレイなのにな、と思っていたら、
彼女がポロッとこう言ったのだった。

だって、結局いつか好きじゃなくなるじゃない?

そのとおりなんだよね。
そう思ったらそれ以上何も言えなかった。
それは少し淋しい考え方かもしれないけれど、
未だにそれに反論することばをわたしは持っていない。

恋愛の行き着く先は、結婚しようがしまいが、
片方が死ぬまで一緒にいるか、別れるか、
そのどっちかしかない。
でも感情は、こころは、もっと複雑だ。
「好き」が何か別の愛情に変わっていったり、
「好き」じゃなくなってしまったり、
もしかしたらずっと「好き」なままだったり。
他にもいろいろあるんだろうけれど、
互いの感情と向き合っていくのは
どうやらとってもしんどそうだ。

「好き」の形がどう変わっていくにしろ、
いつか最初の「好き」はなくなってしまうというのは、
もしかしたら互いに向き合って、相手の感情を想像して、
自分の、相手のこころの移り変わりに怯える、
そんな状態から抜けだすことができるよう、
人に授けられた能力なんじゃないだろうか。

失恋は日にち薬だよ、なんて言われた時に
そんなわけない!と反発したわたしのこころも、
気がついたらその「好き」がちょっとずつ形を変えて、
本当に「日にち」というお薬を飲んだみたいに回復した。
恋人や夫婦の「好き」も、時間とともに形を変え、
互いにぴったりおさまるところが見つかったときが、
そのふたりの第2章の始まりとでも言えばいいのでしょうか。
その先には第3章、第4章と続くかもしれないけれど、
これだけ長々書きながら結局思うことは、
過去を羨むことも、未来を憂うこともなく、
今持っている「好き」の形を楽しむことが
いちばん楽しそうだなぁ、そうしていきたいなぁ、という、
とってもあたりまえのことなのでした。

河村羽美(2013年10月19日)

前のページへ戻る