<星空のうた。>

悩みや、辛さや、苦しみや、我慢や願いを、
かつてぼくらは空や星にたくしていたと思います。
見上げれば、澄んだ空があって、星があって、
それらは底なしに広がっていて、
人々はそれぞれの、抱えきれない荷物の片側を
それらに持ってもらっていたんじゃないかしらん。
けれど、いまは、上を向いて歩いても、
無限の星空は、あまり見えません。

過去に生きた人たちよりも、
現代人の方が、たくさんストレスを感じている
というようなことがいわれます。
それは社会が複雑になった、というだけでなく、
夜空に星があまり見えなくなった、
ということも、関係があるような気がします。
もし、いま、もっと、だれがどこで空を見上げても、
そこにことばを無くす星空が広がっていたら、
抱えきれない荷物は、うんと、
軽くなるんじゃないかと思います。
その荷物でおしつぶされてしまう人たちが、うんと、
減るんじゃないかと思います。

悩みや、辛さや、苦しみや、我慢や願いを、
いまぼくらはどこにたくしているのか。
その場所は、もしかしたら、この
インターネットという空間じゃないかしらん。
けれども、実際には、インターネットという
澄んだ空のような、無限に広がる空間はなくて、
そこにあるのは人と人とがつながる、
ぼくやあなたで構成された、人々の世界です。

つまり、ぼくらはいま、
悩みや、辛さや、苦しみや、我慢や願いといった、
抱えきれない荷物を、また、同じようにそれらを持った
人へたくしているように思います。
けれど、ほんとうは、いいのは、
ぼくらよりも大きな受け皿をもった、
自然にたくすことだと思うのです。
つきぬけるような青空や、こころを奪うような満月や、
じぶんの存在をうたがうような満天の星空に、
手伝ってもらうのがいいと思うのです。
人どうしだと、いちばんやさしい人から、
順々に、だめになってしまうような気がします。

まだ学生のころは、この川に蛍を戻そうだとか、
排気ガスを規制しようだとかという運動に、
あまり感心がもてなかったのですが、
いまは、自然は汚しちゃいけないし、
できることなら、うんときれいにしたいと思います。
ぼくでまかないきれない大事な人たちの受け皿は、
やはり自然しかないように想います。

上を向いて歩くことの意味は、
涙がこぼれないだけでなく、
そこに満点の星空が広がっているからこそ、
もっといいのだと思います。

イデトモタカ(2011年6月19日)