<都会の顔について。>

都会という場所を
ごちゃごちゃしているように感じるのは、
人が多いからだと思ってたけど、
実際には、人というよりも、
「顔」が多いのではないかと思う。
人というと、生きて動いているぼくらだけだけど、
顔というと、そこらじゅうにある
看板やらポスターやらのなかにもある。
都会は人が多いので、
たくさんの企業がこぞって広告を出す。
そして多くの広告には、顔(人)が登場する。
電話ボックスに貼られたチラシの小さな顔、
見上げたビルに掲げられた、
ワンルームの部屋ほどの大きさもある有名人の顔。
もちろん目線を落とせば、
そこには本物の人間の顔がいっぱいで。
都会は顔に囲まれている。
そしてまたぼくにも、顔がある。

モノが多いごちゃごちゃと、
顔が多いごちゃごちゃは、
おなじごちゃごちゃでも、少しちがう。
日本の都会のごちゃごちゃは、
間違いなく顔が多いごちゃごちゃだ。
野外のすべての広告に、
もし顔を出すのが禁止になったら、
おそらくいま感じているごちゃごちゃは、
いくぶんか減るんじゃないかと思う。
実際にはそうならないし、そうする必要もないけれど、
顔というものの圧迫感はそれだけ大きい。

本来、自然のなかには顔があるが、
名刺くらいの小さな顔や、
畳くらいの大きな顔はどこにもない。
それが「ある」のが、都会独特の不自然さだと思う。
そして、ぼくらが田舎や自然に赴くのは、
生活のなかの「顔」を、減らしたいのではなかろうか。

イデトモタカ(2011年7月3日)