<ネットにはない達成感。>

ブログ、ツイッター、フェイスブックと
いろいろな新しい遊び(趣味)がふえて、
日常に入ってきました。
これらは、じょうずに使う(遊ぶ)と、
とてもおもしろい体験をさせてもらえます。
このたのしさを、釣りに喩えて考えていました。

ず、エサとポイントを選んで、
相手に対してアプローチをしかけます。
とりあえず、これだけでも、最初の頃はたのしいです。
このたのしさを10とします。

ぶんの行ったアプローチに対して、反応があった。
これはとてもたのしくて、うれしいことです。
このたのしさを50とします。
これでも充分に、クセになるような快があるかもしれません。

らに、この後に「やりとり」が加わると、
たのしさは80にまでふえるかもしれません。

れど、先に挙げたインターネット上での遊びでは、
ここまででお終いです。
しかしほんとう釣りなら、この後に
「釣りあげる(出会う)」という達成感が待っています。
そこが、最大のちがいだと思いました。
きっとそのときのたのしさやうれしさが100になります。

りは好きだけど、魚は触りたくない。
という方にとっては、80までで充分なのでしょう。
むしろ、それ以上を望んでいないのだと思います。
50で満足、10で満足という方もいらっしゃるかもしれません。
けれど、ぼくがこのインターネット上での
新しい遊びに感じるちょっとした空虚感(物足りなさ)は、
最後の「出会う」なのだということが、
さいきんようやくわかってきました。
たのしさやうれしさはあっても、達成感は存在しないです。

プローチして、反応があって、やりとりをして、出会う。
その結果、じぶんの人生に新しい色が加わって、
もっともっと、世界が豊かになっていく。

くはそこまで求めたいなぁと思います。
もちろん互いが望んで、機会があれば、ということですが、
いつかあなたにもちゃんと出会いたいなぁと感じます。
そうしてようやく、この新しい遊びが、
ぼくのなかでじょうずに完結するように思います。

りは、その行為じたいもたのしいです。
けれどやっぱり、ぼくは最後には水の中にいる、
みえない魚に会いたいです。



追記:

もちろん「出会い系」サイトを肯定するわけではないですが、
実際あれほどまでに人気を博したのは、他とは違い、
きちんとコンテンツとして完結していたからだと思います。
達成感を味わえる、というのが、特異だったような気がします。
ただ、相手へのリスペクトがないんですよね。
それは、ソーシャル(社交)においては、
やはり致命的欠陥になりますね。

イデトモタカ(2011年8月25日)