<あのパーカーも。>

あのコートも、あのジーンズも、
大好きで、大好きで、
ずっと着たいと思ってて、
じぶんのなかでは早くも一生モノで、
けれどいつまにか、もう、手元にはなくて。
そういう服やモノって、
意外にずいぶんとありそうです。

この時期になるといつも着るセーターも、
だれかとの思い出がつまったパーカーも、
はじめて海外に行ったときのブーツも、
みんな、これじゃなきゃダメなんだ、
なんて当時は思ってたのに、
いつのまにか、もうなくて、
そういう想いも、風化していて。
そんなこと、思い出せないだけで、
思い出さないだけで、すごくありそうです。

寒くなると、どうしてか、
そういうことを思い出します。
冬物は、夏物に比べて、
長い付き合いになるからなのかもしれません。
まるで服の方が記憶をもっているように、
見ると、纏うと、いろんなことが回想されます。

学生時代に好きだった女の子と、
近くの海まで自転車に二人乗りして、
そのとき決って着ていたパーカーも、
憧れていた人と同じような服がほしくて、
お金を貯めて、勇気を出して買ったブルゾンも、
いまはあげちゃったり、捨てちゃったりして、
もうありません。
当時からすると、まるで考えられないことです。
けれど、実際に、もうないのです。

じょうずに覚えてはないけれど、
小さいころに大切にしていたぬいぐるみや、
ずっとにぎりしめていたオモチャや、
毎日読んでほしいとせがんでいた絵本が、
きっとぼくにもあったのだと思います。
あるいは、いつまでも手をつないでいたい友達が、
いたのだと思います。
けれど、それらは、ぼくの部屋にはもうないです。
その友達も、いまは、一緒にいないです。

不思議だなぁと思います。
いえ、きっと、不思議でもなんでも、
ないんでしょうけれどね。
モノはいつか古くなって、使えなくなっちゃうし、
人もいつかは縁が切れて、会えなくなっちゃうし。
ぼくらはそういう世界の中で
生きてるわけですもんね。

なにがあったってわけじゃないですよ。
ただね、懐かしい服を箪笥から引っぱり出して、
そういうことをね、感じたのです。

イデトモタカ(2011年10月31日)