<目が合った分だけ。>

目が合った分だけ、記憶に残るね。

そんなステキなことをさ、
いう人がいました。
それを聞いたぼくは、
素直にそのとおりかもしれないと、
じぶんのこれまでを思い返すと同時に、
目を合わせるという行為について、
目を合わせるという好意について、
あらためて考えてみました。

そういえば、
どれだけじぶんが、どれだけ一生懸命に、
相手の目をじっと、ずっと、見つめていても、
おなじ時間、おなじ空間で、
相手がこちらを一瞬でも見返してくれない限り、
ふたりの目が合うことは、ないのです。

つまり、
目が合うということは、
その場その瞬間において、
互いの「気が合った」ということになりそうです。

相手がこちらを睨んでいる場合、
見据えている場合というのは、
それは例え目と目の焦点が合っていたとしても、
「目が合った」とはいえないように思います。
それはあくまでも「互いに見ている」というだけで、
ぼくの(そしておそらくあなたの)思う
「目が合う」では到底ないわけでさ。

目が合った分だけ、記憶に残る。
その意味するところは、目が合ったというのは、
瞬間とはいえ気が合ったということで、
おなじ時間とおなじ空間を、
共有したということにきっとなるんでしょうね。
だからことばをかえると、
「一緒に過した分だけ、記憶に残るね」
ということで、それは実にそのとおりなのでした。

目が合う、目を合わせる、目に応える。
ことばは交さなくても、ぼくはらそうして
おなじ時間を過すんだなぁ。
なにより、人間が人になるまえはずっと、
ほとんど、そうして一緒にいたわけだもんね。

イデトモタカ(2011年12月18日)