<チャップリンのように。>

じぶんのこととして考え、
他人のようにじぶんを見る。
そういうことが、
生きるうえでも、なにをするうえでも、
ぼくは大切なのだと思います。

人生は寄りでみると悲劇だが、
引きでみると喜劇である。
ということばを、チャップリンは遺しました。
ぼくはこの一文が大好きで、
特につらいことや、悲しいことがあったとき、
よく思い出しています。

どうしてだか、
人は考えれば考えるほど、
深く思いをめぐらせばめぐらすほど、
悲劇に近づいていくような気がします。
どれだけ突き抜けるほど爽快な青空の下でも、
影のできない場所なんてものは、ないわけです。
近くで見れば見るほどに、
そこにはいろんな影があるんですよね。

だから、人生を、
主観だけで生きている人というのは、
それは悲劇の要素を多く含んでしまうんじゃないか、
とね、そう思います。
つらいことや、苦しいことに、
おしつぶされてしまうんじゃないかなと
心配になってしまいます。

けれど、それを、
その状況を、そのじぶんを、
少し遠くから眺めることができたなら、
瞬く間に、喜劇の物語として、
笑ってたのしめるようにも思うんです。
過去に体験した(当時としては)最悪の出来事も、
今となってはただの笑い話、なんていうのは
それこそよくある以上の話なわけでさ。

主人公としてこの(じぶんの)物語を
全力で演じてドラマを生み出すことも大切ですが、
時には観客として、その状況を
つらい、悲しい、苦しいと思い悩む主人公を、
滑稽だなぁと笑ってたのしむこともできたなら、
二倍おもしろいと思うんです。
そして外から冷静に眺めることができたなら、
そっとその悲劇の主人公にアドバイスを送ることも、
ぼくはできるんじゃないかと思います。
そういえばぼく、観客席にいるぼくから、
幾度となく声援や助言をもらっているなぁと感じます。

イデトモタカ(2011年12月25日)