<思い出したときに。>

知らない街にいって、
知らない国にいって、
ふと通りがかった公園で
子どもたちがきゃっきゃいいながら
たのしそうに遊んでるのを見かけると、
ここはいい街だなぁ、
ここはいい国だなぁと思ってしまいます。
それはつまり、ぼくのなかで
「公園で子どもたちがきゃっきゃ」というのが
いい街や国の象徴として存在するのでした。
そして、
ぼくがその街を、国を、思い出すときには、
具体的な風景や建物のことではなく
この「象徴」を「印象」として
感じるような気がします。
実際、ぼくは記憶力がわるいので、
あまり細かいことはいつも憶えてなくて、
なんとなくの感じだけが残ります。
人でもそうです。
顔のパーツや声のトーンや服装なんかは
正直ほとんど忘れちゃってて、
ただ「よく笑ってた」や「明るかった」や
「照れると下唇を噛むのが可愛い」とか、
あるいは一緒に過した時間について
「たのしかった」や「カッコつけちゃった」や
「昔の話ばっかりしてた」なんて、
そういう、
音楽家が恋をピアノで弾くように
画家が切なさを青色だけで描くように
抽象化されたイメージだけが残ります。
これは、
ぼくの記憶力が特別わるいからだからとか、
そういうのが理由じゃなくて、
それなりにみんなそうだと思うのです。
だからぼくは、
だれかがぼくのことを思い出したときに
「笑ってるひと」でいたいなぁと思ってます。
他の細かいことは忘れちゃってもいいから、
「よく笑ってたなぁ」と、
そういう印象で、象徴で、
いれたらなぁと思います。

イデトモタカ(2012年2月17日)

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