<両想い幻想。>

付き合っているだの、
好き好きどうしだの、
恋人どうしだの、
将来を誓い合っただの、
結婚しているだの、
いったところで、
結局はどこまでいっても
あらゆる「好き」は片想いなのだ。
そのことは、
自覚しておいて損はないと思う。

いま調べてみたけれど、
この国には「両想い」ということばは
辞書には載ってないようだ。
「相思相愛」ということばはあるけれど、
それにしても、互いが互いを、
独立して好きということだ。
なにせ、相手の感情を
じぶんの自在にすることは
できないのだからさ。

そう考えると、
相手がじぶんのことをどう思っているか、
というのは、甚だどうでもいいことではないか、
という気さえしてくる。
もちろん気にかかることではあるけれど、
雨空を憂うほどに、仕様がない。

逆もまたしかりで、
その気持ちにできるだけ応えたい、
というのも、
いざ冷静になって考えてみると、
いやはや、どうなのだろう。
切なさが増すだけではないのかしらん。

「好き」というのは、
そもそもとてもハッピーなことだと思う。
それを悲しくしたり、切なくしたり、
アンハッピーと結び付けてしまうのは、
「両想い」という幻想なのではなかろうか。

イデトモタカ(2012年3月23日)