<立ってることで。>

一昨日くらいから電車に乗るときは、
空いていても立っていることに決めました。
それだけで、座りたいや、
座れなかったや、
空かないかなぁといった、
たくさんの不必要な感情を
手放すことができたことに気がつきました。
そして、落ち着いた気もちや、
たのしいイメージをする時間を手に入れました。
これは、考えてもいなかった、
とても大きな収穫でした。

以前のぼくは、ノートを書いたり、
パソコンで文章を書いたりするために、
できるかぎり座りたい人でした。
そのために、乗り換えのときはいそいそと立ち、
開くドアの前で待機したり、
急いで次の電車に乗り換えるために小走りしたり、
座れなかったときにはがっかりしておりました。
それが、ただ「立っている」と決めただけで、
感じなくてもいい感情やストレスから
解放されただけでなく、
そういう変な習慣に陥っていたことに
はじめて気がついたのでした。

大げさかもしれないですが、
ぼくはこれまで気づかぬうちに
「競争」の社会に身を置いていたわけなのです。
席の奪い合いという泥試合に参加して、
毎日一喜一憂していたのでした。
ところが「席には座らない」と決めたことで、
ぼくは「競争」社会から「共存」社会へと
住む場所が変ったのでした。
公共の交通機関の座席はみんなのものだ、
ぼくよりも座るべき事情の人がいる
と思ったことで、カチっとスイッチが切り替り、
「共存」という社会が目の前に現われました。
これは、驚きでした。

今後ぼくは電車に乗るときに、
おそらくほとんどの場合座ってないと思うのですが、
それでこれまでに比べて不便になるかといえば、
たぶんずっとうんと暮しやすくなるんじゃないか
と思っております。
むしろ、過しやすい世界になるんじゃないか
という気がしております。

じぶんが世界と、社会と、どう付き合うか。
それだけで、世界も、社会も、
じぶんに向ける顔を変えるんですね。
そういうことを知った、今日この頃でした。

イデトモタカ(2012年6月12日)