<人は変わるのだ。>

人は変わるのだ、
ということを認めること。

それをしっかりと意識して、
恐がらずにやっていこうと思います。
そうしなければ、つまり、
人は変らないのだ、
ということをじぶんの信念にしてしまったら、
それはじぶんの成長や変化さえ、
否定することになってしまいます。

ぼくはこれまでのまだ短い人生でさえ、
たくさんの人たちに出会ったことで、
またたくさんの本や映画、音楽、
アートというものに出会ったことで、
ずいぶんと変わってきました。
ぼく自身としてはいまでも三ヶ月サイクルで、
別人のようになっているとさえ思っています。
けれどそのくせ、他の人のこととなると、
途端に「人はそう簡単に変らない」と
思っている(思い込んでいる)ところが
恥ずかしながらあるものです。

特に、痛い目にあったとまではいわないものの、
ある瞬間でも、もう二度と信じない、信用できない、
と思った相手については、
「人は変らない」というひどく度数のきつい
色眼鏡でもって見てしまいがちです。
たしかにそれは防衛反応として、
ある程度には必要な情動かもしれないですが、
でもねー、人は変わるんだなぁ。
それはじぶんを見ていると一番よくわかります。

なにせ、ぼくにしたところで、
たかだか数年前に出会った人たちの中には、
イデのことはもう二度と信じない、信用できない、
と決めた人たちは、少なからずいるでしょう。
彼らにいままた出会ったとして、
「あのときのぼくとは別人です。
だからまた白紙の状態で判断してください」
といっても、なかなかそうはならないのが人なのです。
けれど、それをぼくはできるだけですが、
他の人に対してはやっていきたいなぁと思います。

そうでなければ、
ぼくにしたって、彼らにしたって、
せっかく得た大きな成長や変化や反省が、
報われやしないですからねぇ。

小さな結論として、
いつだって白紙の状態で相手を見れる、ということは、
瞬間瞬間で相手の本質を見抜くことのできる、
いっとうすぐれた目を持たなくてはいけないですね。
それが「成長」を認め、受け容れることであり、
いつだって危険を回避できる方法なのだと思います。

イデトモタカ(2012年6月26日)