<夢といふものは。>

「夢」というのは、つまり、
じぶんが「なに」として
この社会と関わり合いたいのか、
ということだと思うのです。

プロ野球選手になりたいというとき、
それはじぶんという人間がこの世界で、
「プロ野球選手」という役割として、
誤解を恐れずに言い換えれば、
「プロ野球選手」という歯車として、
他に人たちと、社会と、
関係したい、接点を持ちたい、
ということなのだと思います。

人は人と関わらずして、
生きていくことができません。
そうでなければ、
動物のヒトとして、
生きていくことになります。

必ずどこかに接点を持ち、
必ずなにかとして関わりを持ちます。
それが「なに」としてなのか。
じぶんらしい、満足のする関わり方。
じぶんらしい、一番みんなに貢献できる、
たのしみながら、よろこびを感じながら、
いい影響を及ぼし合えるポジションはなになのか。
その理想形を人は「夢」と、
そういっているのではないかしらん。

もし、車のベンツが欲しい。
ベンツに乗るのが夢だ、
という人がいたとしても、
その人は本当はベンツに乗っていられるじぶん、
そういう存在として社会と関わっている状態、
感情がほしいのだと思います。
ベンツに乗ったから、もう死んでもいい、
なんてこと、ないでしょうから。

なにかが欲しい、なにかをしたい、
という夢は、なにとして社会と関わるか、
という夢のステップに過ぎないのだと思います。
これが欲しい、それが手に入ったなら
次はこれが欲しい、その次はこれが・・・・
というのは、夢ではなく欲望です。
深い夢というのは、
(ぼくはですけれど)人との関係性の中にこそ、
あることが多いのではないかと思います。

ぼくは伝える、表現する、つくりだす存在として、
社会と、世間と、関わり合いながら、
そういう歯車としてたのしく生きられたら
と思っています。
あなたは、なんでしょう?

イデトモタカ(2012年7月9日)