<子ども過ぎた頃。>

過去の、
ある一部分を切り出せば、
たのしかったといえるのだけれど、
結末としては悲しかったり、
寂しかったりする出来事。
思い出、というほどには
まだじぶんのなかで、
消化も美化もされていない、
生々しい痣(あざ)のような記憶。
そういうものは、
だれにしたって少なからず、
あるものではないかと思うのです。

ぼくは思い出に対して、
わりかし冷たいところがあるのですが、
まだ思い出になりきっていない
そういう過去の出来事については、
ふと、ときには故意に、
思い出してみることがあります。

そして、いつだって、
ぼくは過去のぼくにいうのです。

子ども過ぎたね。

ぼくだけじゃないかもしれません。
その時代、その場所に参加している
主要な登場人物たちみんなについて、
ぼくは「子ども過ぎた」と思います。
もちろんそうじゃない人もいますが、
そういう人物のことは、
なぜだかあまり思い出しません。

こういった、
子ども過ぎたという過去は、
いつまでふえつづけるんでしょうね。
じぶんが成長する限り、
ふえつづけるんでしょうかね。
それとも、オトナというものになれば、
それ以降、もうできないんでしょうかね。

子ども過ぎた。
それはわるいことではないのですが、
厳しいことをいえば、
それだけで、許されることでもない、
という気がします。

子ども過ぎたぼく、子ども過ぎたあなた、
あれからぼくも、あなたも、
少しだけ、成長しました。
では、また、思い出します。

イデトモタカ(2012年8月28日)