<本音をいわない。>

人には、人を変えたいという、
妙な欲求があります。

じぶんの周りにいる人を、
じぶん好みに変えたくて注意したり、
いま身近にいる人に、
「あなたはもっと、こうしたら変わるよ!」
というアドバイスをしたくなったりします。
じぶんの「いい」と、相手の「いい」は、
必ずしも一緒ではないんですけれどね。

人はよく、
「あの人は、もっとこうしたらよくなるのに」
「あの人の、ここが変われば成長するのに」
といったことを、思ったり、
本人がいないところで話したりします。
よくもわるくも勇気のある人は、
「あなたのここがイケナイ、こうしたらよくなる」
というアドバイスを、善意のこころでしたりします。
けれど、それは、どうなんでしょうね?

仏教の世界では、
じぶんの「意見」はエゴだといわれ、
あまりいいものとはされていないようです。
わたしはわたし、あなたはあなた、
それでいいじゃない、なのです。

相手がもっとよくなりたい、
もっと成長するためにはどうしたらいい?
あなたの意見を聞かせて、
と真剣に訊いてきたときには、
あなたの思いの丈を伝えればいいのでしょう。
けれど、なにも求められていないのに、
「あなたはもっとこうした方がいい」
「あなたのこういうところがもったいない」
というのは、ぼくはエゴなんじゃないか、
という気がします。
誤解を恐れずにいいますと、
それは「親切」という皮をかぶった
「おせっかい」なのではないか、と思います。

一緒にいるじぶんが不愉快だから、気分がわるいから、
あなたのこういうところ、直せない?
というのは、じぶんの危機に関するものなので、
一線を超えたならいえばいいと思います。
あるいはおなじ目標に突き進んでいる相手には、
達成に近づくアドバイスをするのもいいかもしれません。

けれど、そうじゃないときに、
ただただあなたの主観としていう「意見」というのは、
ぼくはもう少し控えてもいいかなぁという気がしてます。
相手はそういうじぶんで、そういう人生で、
満足しているのなら、それもありだねと、
受け容れようと思います。

他人のことはよく見えます。
だからといって、じぶんが相手より優れている、
ということにはならないと思いますからさ。
「本音をいわない」というのも、
ぼくは日本の美しい文化の一つだと思っています。

そうやってぼくらは笑って生きてきて、
これからも笑って生きていけるのだという気がします。

イデトモタカ(2012年9月9日)