<一生懸命さのむつかしさ。>

一生懸命さには、
ある種の孤独感と寛容さ、
一人芝居を愉しむこころと悲観的でない冷静さ、
そして内側からあたためるような情熱という、
なにかと複雑な資質が必要です。
つまり(ぼくが思う)正しい一生懸命さとは、
なかなかむつかしいものなのです。

一生懸命であることは、孤独です。
一生懸命であろうと決めたその日から、
あなたは孤独にたえなければならなくなります。
他の人があなたほど、あなたの望むほど、
一生懸命であるかどうかは、わからないからです。

あなた自身が一生懸命になるのかどうかは、
あなた自身が決定するように、
他の人が一生懸命になるのかどうかも、
あなたではない他の人自身が決定します。
そして仮にあなたほど、あなたの望むほど、
他の人が一生懸命ではなかったとしても、
それをあなたがとやかくいうのは、
ほめられたことではありません。

わたしはこんなに一生懸命なのだから、
あなたもこれくらい一生懸命にやりなさい、
というのはわがままなのです。
あなたが勝手にやってることなのですから。
そのとき「あなたのためなのに!」と思ったり、
わたしは「いいことをしているのに!」と思うなら、
それは相当に良くないことだということです。

一生懸命はひとりでやるものです。
たまたまそういう人どうしが集まれたなら、
そういう気もちを個人がそれぞれに持てたなら、
それは「素晴らしい!」と思います。
だからといってはじめから、
まわりにそれを期待するのはお門違いです。

一生懸命は一人芝居のようなものなのです。
だれかを道連れにしていいものではありません。
他の人の参加を目論むものでもありません。
ただ、じぶん一人が一生懸命にやるのか、どうか、
それだけのものだと思うのです。
けれど皮肉なことに、
まわりに一生懸命やろうといくら働きかけるより、
じぶんがただ淡々と一生懸命であるほうが、
賛同者は募っていくものです。

一生懸命にやろうと思います。
あくまでも、ぼくひとりの問題としてね。

イデトモタカ(2012年9月25日)