<シャッターの内側で。>

閉じられたシャッターの内側で、
すべてのものごとが動いています。
あらゆる結果の種が蒔かれています。

ずーっと録画したままで観ていなかった、
『ガイアの夜明け』というテレビ番組の
東京大丸の新しい地下食品売場のオープンに関する
舞台裏の映像を観ていて、強くそう思いました。

店内の設計はもちろんのこと、
人目を引く仕掛け、来た人をさらによろこばせる
ユニークなコンセプトや空気感。
そういうものは、ひっそりと、けれど着実に、
閉じられたシャッターの内側でつくられています。
当日も、外側からはただそこに、
長いあいだ閉じられていたシャッターがあるだけですが、
その内側には最後の調整や、願い、
きょうまでの想い、そして熱意や確信があるのでした。

あの人のようになりたければ、
あの人とおなじ行動をすればいい。
昔はそう思っていましたが、
それでは「半分(あるいはそれ以下)」なのだと
最近は感じるようになりました。
その人の凄さが培われた場所や経緯は、
傍目からは見えないものなのです。
それは閉じられたシャッターの内側で、
ある種引きこもっているような時間の中で、
育まれているものなのだと思うのです。

三つ子の魂百まで、ということばがありますが、
実際的にも、幼少期、特に1歳から3歳くらいまでの
養育状況に、人はとても強い影響を受けるそうです。
その期間というのは、社会的にはいわば
シャッターの内側にいる時間です。
まだ外の世界との関わりを持たない時期に、
ぼくらの人格の大きな要素が決定されます。

もちろんそれは、その後の人生で、
じぶんで変えることもできるのですが、
それもまたおなじように、
閉じられたシャッターの内側での行為によって、
実現するものなのではないかという気がします。

そういえばこの窓から見える世界もぜんぶ、
変化は内側から始まっていて、
見えない部分に支えられているのでした。
草木の根は、ぼくらには見えないし、
マンションの土台や鉄骨も、外側からは見えません。

見えない時間になにをするのか。
それがつまり、どう生きるのか、
ということなのだと思うのです。

イデトモタカ(2012年9月30日)