<いま集まってる人たち。>

いま集まってる人たちは、
なんらかの利害や目的が一致して、
一緒にいるのだということを、
あらためて了解しておくことは、
ぼくは大切じゃないかと思っています。

一対一の場合なら、
「好き」という理由が、
もっとも強固であって、わかりやすいです。
でもそれが集団や、チームや、組織の場合なら、
ただ「好き」という理由だけで、
全員が半永続的に「そこ」にいることは、
それはなかなかむつかしいんじゃないか
という気がします。
「むつかしい」というのは、
「ない」と考えておくほうが無難だ、
ということです。

ぼくはひとりで過ごすのが好きですが、
仲間と呼べるみんなで過ごすのも、
とても好きです。
けれど、子どもじゃないですからね。
忙しいオトナどうしが遊ぶとなると、
ただ「好き」の集まりだけでは、
なかなか場が成立しにくかったりもします。
なので、たいていは「ビジネス」という
共通の遊び道具でもって、
集まることが多くなります。

もちろんそこでも、
土台に「好き」がそれぞれに対してあったなら、
とても関係としては良好で、
ビジネスという面でも有利になります。
けれど、逆に「好き」が減ってきたとしても、
ある程度「そこ」にいることも求められます。
そういう場合には、他にどの要素があって、
一緒にいるのか、集まっているのか、
ということが問題になってくるのだと思います。

ぼくは作業はひとりでしますが、
仕事はチームで行なっています。
このチームでどこまでいくのか、
いつまでやるのか、
最近あらためてそういうことを考えます。
やっぱり夢や人生に求めるものが、
それぞれに違うからです。
その足りないパーツを埋め合うために、
「いま」一緒にいるけれど、
それが互いに手に入ったなら・・・・とかね。
「サヨナラだけが人生だ。」
というのも、あながちそうだなと感じたりね。

イデトモタカ(2012年11月20日)