<遅れてついてくる。>

いい服とはなにか。
それは身体の動きに
ぴったりとついてくる服だ。
まず、じぶんの身体が動く。
その零コンマ数秒後に、服が動く。
この感覚が短いほどに、
その動作が滑らかであるほどに、
それは「いい服」だといえる。

昔、なにかの本で服飾評論家の人が、
それも他の誰かの引用だった気がするけれど、
そのようなことをいっていました。
これもたしかに、一つの「いい服」というものの、
定義といえばそのような気もします。

どうしてこのことばを思い出したのかといえば、
零コンマ数秒後であろうがなんだろうが、
じぶんが変化したときには、
その周りのものは少し「遅れてついてくる」のだ、
ということを、あらためて考えていたのです。

まず、じぶんの内面が変わる。
じぶんのなかで、ことばにも出来ないレベルで、
けれどたしかに「なにか」が変化する。
でもまだそのとき、瞬間には、他のもの、
つまりじぶんの「ことば」や「態度」や
「選択」や「行動」や「価値観」は、
あるいは「服装」や「スタイル」や「色」や
「バランス」や「雰囲気」というものは、
まだ古いままなのです。
それらがじぶんに「ついてくる」には、
零コンマ数秒であれなんであれ、
多少のズレが絶対に存在しています。

そのために、好きだったはずなのに、
似合わなくなった服や、
たのしかったはずなのに、
なんだか会話がつまらなくなった相手や、
多大な影響を受けたはずなのに、
なんとも思わなくなってしまった本や、
じぶんが確信を持って過去に放った台詞なのに、
それは違うだろうと同意しかねることばというものが、
人生にはふっと出てきては、
なんともいえない違和感をのこしていきます。
それはじぶんの「意識」や「認識」さえも、
まだ追いついていないからなのです。

じぶん(の内面)が変わってから、動いてから、
世界やそれに伴うあらゆるものが、
少し遅れてついてきます。
その過程の真っ只中という時分は、
極めて貴重な瞬間ではありますけれど、
確実にだれもが経験している場所であるはずで、
その「なんだかしっくりこない感じ」というものが、
つまり「変化」の印なのではないかと思うのです。

ではきょうも、来てくださってありがとうございます。
新しいじぶんは、もう先に進んでます。

イデトモタカ(2013年1月22日)