<本気度にふれる。>

昨年に大阪と東京で(例外的に北海道でも)
行わせていただいた『役に立たない授業』
というイベント内で、人間の成長に関して
ぼくは「地才(ちさい)」が重要だ、
というお話をさせていただきました。
これはつまり、生きている場所、
生活している環境が人に与える影響は多大だぞ、
ということでして、
少し前衛的なことをいっているとすれば、
「なりたいもの」があるのなら、
技術や知識の前に、それに相応しい
価値観や縁が得られる場所を探して行け、
ということになるかもしれません。
要するに、場所(地)によって育まれる才能こそが、
天や人から得られるものよりも重大だということです。

これについて、最近またいろいろと思うことがあり、
数日前に昔の仲間と話していたのですが、
とても意見が一致したのが「本気度」についてでした。
人はじぶんが身をおいている場所の
「本気度」によって、成長したり退化したりします。
例えばサッカーをしている少年が、
海外の一流のクラブチームに入った途端に、
一生懸命やっていたと思っていたじぶんの地元の練習を、
「なんてぬるかったんだ!」と思ったりするでしょう。
仕事にしても、こんなに細かいところまでやるんだとか、
こんな誰も見ていないような場所にまでこだわるのか、
ここまで深く追求するのか、突き詰めるのか、と、
「本気度」の価値観に驚かされたりします。
そして、それが人を成長させるんじゃないかと思うのです。
反対に、それに順応できず、冷めた目で「やり過ぎでしょ」
と思ってしまうようでは、
やっぱりそこで(その分野で)の成長は
もう求められないのではないか、と思うのです。

本気度が違う場所、地域、集団、
もっといえば一番「それ」において「本気」の場所が、
あなたを成長させるのだということは、
そりゃぁ当たり前だよね、というわけです。
そしてその「本気度」というものが、
「なに」に「どう」本気なのかということが、
文化であり風土であり、企業においても組織においても、
もっとも重要な一要素なのではないかという気がします。

ぼくはゆるく生きておりますが、
そういうことに関しては、あつくいたいなと思っております。
効率から感動は生まれない、という人がありましたが、
ほんとにそうだなぁと思うのです。
ある範囲内での効率は、必要なものですが、
それ以上にだれかを感動させるのは、
受け手の常識や価値観を超える、
清々しいまでの「本気度」に触れたときではないかしらん。
少なくともぼくは、そう思っております。

イデトモタカ(2013年2月10日)