<寂しいといえる大人に。>

「寂しい」ということを、
きちんといえるオトナがぼくは好きです。
子どものときには考えもしなかったけれど、
オトナだってそりゃぁ寂しいときはあります。
子どものときに、いつ頃からか、
みんなといても、ともだちがたくさんいても、
じぶんはひとりなんじゃないか、
どれだけ仲が良い人がいても、
側に誰かがいても、ひとりを感じてしまう。
それを虚しく、寂しく思ってしまう、
という時期がやってきます。
そういう感覚を一切持たずに成長する人は、
ぼくは基本的にはいないんじゃないかと思います。
「自我」というものは、
そういうものだからだと思うからです。

そしてもちろん、オトナになったからといって、
この虚しさや寂しさが、なくなるわけではありません。
むしろ、もっともっと、自由が手に入った分だけ、
この「寂しい」という感情は出てきます。
それでいい、かどうかはわかりませんが、
そういうものだ、とは思います。

昨日四十代半ばの企業コンサルタントの方(男性)に、
夕食をご馳走になりました。
その中で彼は、世間的には成功をしているし、
自由に、好きな仕事をして、たのしい人たちと
一緒にご飯を食べたり遊んだりしているけれど、
やっぱり「寂しい」ということをいっていました。
ぼくはこの人はほんとにオトナだなぁと感心しました。
その感情をちゃんと受け容れた状態で、
どう生きるのか、日々を暮らしていくのか。
その人はコンサルタントの中でも主に人間関係、
つまり教育分野で活躍されているみたいだったので、
なおさらこういう、じぶんの「寂しさ」と向き合っている人が
「教育」を担当するのは、すごくいいなぁと思いました。

もし、じぶんが小学生のとき、中学生、高校生のときでも、
こういう「寂しさ」は、いつまで経ってもあるぞ。
オトナだってそこは変らないんだ。
先生も、ときどきすごく寂しくなることはあるし、
でもそういう感情と向き合っていくことも、
すごく大事なことなんだ。
と、言ってくれた先生がいたなら、ぼくはその先生のことを、
きっとずっと忘れないだろうなぁという気がします。
勉強は忘れても、そういうことは憶えているものです。

「じぶん」というものをしっかりと持っている人ほど、
他の人との違いを考えて「寂しい」を感じるものです。
だから「なんにも寂しくない」という人がもしいても、
ぼくはその人に魅力を感じないでしょう。
世界で活躍したり、がんばっている人の姿に、
少し切なさみたいなものを感じるのは、
そこに人一倍の「寂しい」があるからなのではないかしらん。
ぼくはそう思ったりします。

イデトモタカ(2013年4月7日)