<優れたアウトプットは。>

人間の想像力というものは、
すさまじいところがありますが、
現実の奇妙キテレツさもまた、驚くところがあります。
生半可な想像であるならば、
ゆうに超えていくのがおおよその事実です。

いつ頃からか、そういえばぼくは、
求める未来について想像力を働かせなくなりました。
人生に失望しているわけではありません、もちろん。
そうではなくて、想像を超える出来事の波乗りに
ようやく少し慣れてきたところで、
その舵取りに必死ということではないのですけれど、
じぶんで「こういう波がいつかきっと来るんだ」や、
「こういう波が来たらこう乗ってやるんだ」と
考える意味もその時間も、
昔ほど重要視していないような感覚を受けます。
よくいえば信念を持つ以外のやり方を
実地で学んだのかもしれませんし、
わるくいえば現実の舞台が飛躍するスピードに、
ぼくの不徹底的な想像が追いついていない、
ともいえるのかもしれません。

かつてのぼくは、画を異常に気にする人でした。
じぶんを含む構図といってもいいかもしれません。
仮にこの人生が、日々の生活が、
映画として撮られていたならば、
どういうふうに見えているのか、
どこに違和感があって、バランスが悪くて、
もっとどうすれば「いい画」になるのか。
今考えると不思議な感じもしますが、
つい数年前までのぼくは、本気でそういうことを、
それもある種偏執的に意識しながら生きていました。
とはいえ、その結果得られたものもあるにはあります。
それはよくもわるくも「こだわり」でしょう。
次には「安心感」もありそうです。
画をよくすることで、つまり、理想に近づけていくことで、
一歩々々その輝かしい未来に接近しているような
(それが仮に万年筆を買ったというだけでも)
安心感を得ていたように思います。
でも、その画は、まだ完成には至っていません。
そして、その日が来るのかも、わかりません。
既に原画を無くしてしまった気もしますしね。

では、つい最近の「ぼく」になったのはいつからか。
そのきっかけはと考えると、昨年末の大きな仕事が
転機だったように思います。
そのプロジェクトでぼくは、一つの目標を立てました。
ついでにいうと、気恥ずかしいですが、
戦略というものも、立てさせていただきました。
では半年近く経った今、どうなったかといえば、
その仕事に関わった誰も想像しなかったくらいの、
これくらいかなと思っていた結果の、
数十倍、数百倍の規模にまで成長しました。
これはよろこばしくもあり、おそろしくもあり、
また非常に興味深い教訓を教えてくれた現実でもありました。
つまりそれは、
「優れたアウトプットは、想像以上の結果をもたらす」
ということです。

人生の計画(プラン)を立てましょう、
と説く人や書かれた本はたくさんあります。
けれど、あなたもおそらくはご存知のとおり、
人生は不思議でいっぱいです。
まさかこうなるとはの連続です。
無策は確かにほめられないかもしれませんが、
がちがちに固めた分単位の予定なんて、
結局叶うものではないのも承知したいところです。
それよりも、優れたアウトプットをしたならば、
求められたこと、やるべきことを、
充分以上にやってのけたなら、
想像も追いつかないような扉がわけのわからない角度から、
突然がばっと開いたりするぜ、とね、思うのです。
案外ぼくはそうやって、道を拓いてきた気がいたします。

イデトモタカ(2013年5月9日)