<情というもの。>

情が湧くということは、
「その人の幸せを願う」
ということなのだと思うのです。
ほとんどの場合、そう言い換えても
間違いではないような気がします。
家族のように近しい人から、
不思議な縁で一緒に過すようになった人、
はたまた小説や映画といった
架空の物語のなかの人にまで、
ぼくらはいろんな人に対して、
時には人でさえないものに対してさえ、
「情」という気持ちを抱くようになります。
共有した時間、というものがその感情の発生に
おおきく関係しているだろうことは
疑いようのないことに思えますが、
短期間であっても、
互いに感じ合うところがあり、
また苦楽を共にした仲であったなら、
「情」は自然に生まれてきます。
つまりそれは、なんでもなかった人が、
幸せを願う相手になるということで、
じぶんにとって関係のない人ではなくなる、
ということで、つきつめていったなら、
もはや「じぶんの一部になる」とも
言えるのではないかと思うのです。
「情」ということばの後には、
「湧く」だけでなく「移る」という動詞が
つづく場合も多いです。
それはじぶんのものが相手に、
勝手に、意図せずに渡るということで、
いってしまえばじぶんの一部が移動する
ということなのではないかしらん。
そう考えたなら、ただごとでないのは当然です。
その相手の一部は「じぶん」なのですから。
幸せでなければ困ってしまいます。

幸せを願う人たち、
それが延長線上のじぶんです。

イデトモタカ(2013年6月20日)