<小さくなってしまう夢。>

いつかたどり着けたらいいなぁという場所が、
あるのとないのでは、やっぱり違うくて、
いつか手に入れられたらいいなぁというものが、
あるのとないのでは、それもやっぱり違うくて、
学生のころ、青春時代と呼ばれるころは、
それらが目まぐるしく変化しながらも、
なにかをつかもうと必死になっていたことが、
けっきょくオトナになったときのじぶんの素(もと)に
なっているのだと思います。

子どものときは、できることが本当に少ないです。
じぶん自身のことを思い出しても、
やっぱり子どもというのは相当に不自由でした。
守られている存在ということは、
その城塞の範囲でしか動けないということです。
けれど同時に子どもの時分には、
オトナとは異なる「ゆとり」が多く存在するので、
目の前のことに夢中になれる部分もあります。

ある人がいっていました。
子どもはほんとに不自由だ。
大人になるにつれて自由が広がる。
なのにどうして歳をとればとるほどに、
夢は小さくなってしまうのだ。

幼稚園児のころは大リーガーになりたいでも、
小学生になるとプロ野球選手になり、
高校生になれば目指せ甲子園になり、
大学生では社会人野球のスタメンで、
社会に出たら草野球というのは可笑しいだろう、と。

夢や目標がこじんまりしてくる感じは、
かなしいかなぼくにもわかります。
「現実を知る」というのが一般的な解釈かもしれませんが、
だからといって諦めるのであれば、
それほどのものといわれても仕方ないのかもしれません。

諦めなければ夢はいつか必ず叶う。
そういうことばは昔からあります。
たくさんの人がいっています。
つまりその人たちは、現実を知った上でも、
やっぱり同じ気持ちで進み続けた、求め続けたんでしょうね。
それはどこか「子ども」のようです。

あるいはオトナになるにつれ、
目先のことばかり考えてしまうようになるのは、
少しがんばれば叶いそうな目標ばかり抱いてしまうのは、
身体がそれ以上に成長しないということにも
関係があるのかもしれません。
書きながら、突然そういうふうに思いました。

子どもはオトナを見ながら
「じぶんはどれだけ大きくなるのだろう」と想像します。
そして身長が100cmにも満たない子どもにとって、
身長が150cmを超えるオトナというのは、
誰にしたってスーパーマンに見えるような気がします。
なんでもできる存在に思えるような気がします。
だからこそ、将来のじぶんに期待できるものもあるのかとも。

オトナになったぼくらは、もう身長は伸びないでしょうが、
身体は鍛えていくことができます。
筋肉をつけることも、痩せることも、柔軟になることも、
オトナになってからでもいくらでも可能です。
じぶんの身体を進化させることで、成長させることで、
夢や目標に対する考え方も変わるのではないかしらん。
なんだか思ってもみなかった末文になりましたが、
小さな希望が見えました。

イデトモタカ(2013年7月11日)