<ちゃんとする教。>

うまくいかせたいことがあって、
うまくいっている人がいるのに、
じぶんはうまくいっていないのだとしたら、
その差はどこにあるのですかと考えれば、
たいていはうまくいっている人の方が
じぶんよりも「ちゃんとしている」という、
この一言に尽きるのではなかろうか。

じぶんのことを省みてみても、
ちゃんとしていることはうまくいっているし、
ちゃんとしていないという負い目が少しでも
あるものについては、やっぱり、
それをちゃんとしている人ほどは
うまくいっていないものだ。

それらは当然のことなのだけれど、
どこか、ちゃんとしないじぶんがいる。
「ちゃんとする」のは大変なことだ、
と知っているからだ。
そして、それほどのことをしてまでは、
得たい結果ではないと思っているのかもしれない。
つまりそこに、じぶんのなかの綱引きがあり、
需要と供給があり、ちゃんとすることが
ちゃんとしないことによってもたらされる
「なにか」に負けているということだ。

はっきり言おう。
ほとんどすべてのことは
「ちゃんとすれば」それなりにうまくいくものだ。
ちゃんとしている人がうまくいっているところで、
それ以上にちゃんとしたのにうまくいかなかった、
ということがもしあったとすれば、
ぼくの指くらいはあげたいものだ。

いまあなたのすべき「ちゃんとする」ものが、
ほんとにちゃんとできているのか、
あとどれくらいちゃんとできるのかは、
あなたが一番よく知っている。
そして、その際限の無さ、無限性に
少しうんざりもするかもしれない。
でも、そうだとしても、この世の中では
ちゃんとした人はそれなりにいいことがある。
それは、信じてもいい宗教だと思う。

イデトモタカ(2013年8月8日)